現代活躍している歌人の歌を知りたいけれど、短歌とそれに対する評が書かれていて、さまざまなタイプの歌人が取り上げられている本はないかなあ?
短歌と一口にいっても、古典和歌から現代短歌までその範囲はとても幅広いものです。どの時代の短歌を読みたいかによって、参考となる書籍も変わってきます。
現代短歌、特に2000年以降に出版された歌集を知りたいという場合、今回取り上げる瀬戸夏子さんの『はつなつみずうみ分光器 after 2000 現代短歌クロニクル』を読んでみるのがいいのではないでしょうか。
当書はタイトルに「after 2000」とある通り、2000年以降の歌集を取り上げています。しかしその歌人の2000年より前の過去の歌集であったり、その歌人の短歌の傾向に関連する別の歌人の歌だったり、関連する事項がさまざまに言及されています。2000年以降の歌集、歌人、短歌界の傾向などの全体像を、色々な角度から把握するのに最適な一冊といえるでしょう。
歌人ごとに十首以上の歌が引用されているアンソロジーです。ただ単に歌が引用されたアンソロジーというわけではなく、むしろ著者の歌評をはじめとした熱のこもった文章こそが当書の最も読み応えのあるところといえます。手元に置いて何度も読み返したい、ぜひ多くの人に読んでもらいたい2000年以降の現代短歌ブックガイドの決定版です。
当書のもくじ
まずは『はつなつみずうみ分光器 after 2000 現代短歌クロニクル』のもくじを見てみましょう。
まえがき
二〇〇〇年から二〇一〇年
- 夜光 吉川宏志
- 林檎貫通式 飯田有子
- 椿夜 江戸雪
- ハッピーロンリーウォーリーソング 枡野浩一
- 開放弦 上村典子
- 青卵 東直子
- 手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ) 穂村弘
- 歩く仏像 渡辺松男
- プライベート 佐藤真由美
- 嬬問ひ 高島裕
- キンノエノコロ 前田康子
- 念力家族 笹公人
- 木曜日 盛田志保子
- 銀耳 魚村晋太郎
- O脚の膝 今橋愛
- uta0001.txt 中澤系
- やさしい鮫 松村正直
- 竹とヴィーナス 大滝和子
- 乱反射 小島なお
- あのにむ 川崎あんな
- ざわめく卵 吉野裕之
- ひとさらい 笹井宏之
- 薄い街 佐藤弓生
- 鈴を産むひばり 光森裕樹
- パン屋のパンセ 杉﨑恒夫
二〇一一年から二〇二〇年
- 裏島/離れ島 石川美南
- 日本の中でたのしく暮らす 永井祐
- 手のひらの花火 山崎聡子
- あそこ 望月裕二郎
- すずめ 藤島秀憲
- やがて秋茄子へと到る 堂園昌彦
- オーロラのお針子 藤本玲未
- 体温と雨 木下こう
- 蓮喰ひ人の日記 黒瀬珂瀾
- 砂丘律 千種創一
- かなしき玩具譚 野口あや子
- 人魚 染野太朗
- 人の道、死ぬと町 斉藤斎藤
- 永遠でないほうの火 井上法子
- キリンの子 鳥居歌集 鳥居
- わたくしが樹木であれば 岡崎裕美子
- アネモネ・雨滴 森島章人
- 男歌男 奥田亡羊
- スウィート・ホーム 西田政史
- はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで 雪舟えま
- カミーユ 大森静佳
- 温泉 山下翔
- 海蛇と珊瑚 藪内亮輔
- ピクニック 宇都宮敦
- 花は泡、そこにいたって会いたいよ 初谷むい
- 玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ 木下龍也・岡野大嗣
- はるかカーテンコールまで 笠木拓
- 母の愛、僕のラブ 柴田葵
- 崖にて 北山あさひ
- Lilith 川野芽生
コラム
- ニューウェーブ
- 第一歌集
- テン年代
- 前衛短歌
- ポストニューウェーブ
あとがき
2000年以降の歌集およびその歌人を取り上げていますが、大きく2000年代と2010年代の2章で区切られています。ところどころに挟まれたコラムも2000年以降の現代短歌を考える上で非常に興味深い内容となっています。
おすすめのポイント
それでは、当書の特長やおすすめのポイントを順番に見ていきます。
55冊の歌集
まずはどの程度の歌集が取り上げられているのかということですが、2000年代が25冊、2010年代が30冊の合わせて55冊の歌集が紹介されています。対象は第一歌集から第三歌集までと記されています。
それぞれの歌集からは十首選がなされています。そのほかに著者が文章の中で言及する歌を合わせると、一歌集当たり10~20首に触れることができるようになっています。
また該当の歌集だけではなく、同じ歌人の別の歌集からの引用や、関連する別の歌人の短歌も引かれているため、取り上げられている範囲はより広いといえるでしょう。
2000年から2020年における最初の頃と最後の頃の作品をいくつか引いてみます。
卓上の本を夜更けに読みはじめ妻の挾みし栞を越えつ (吉川宏志『夜光』)
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔 (飯田有子『林檎貫通式』)
白髪一本うつくしければそのままで港というあかるさをあゆめり (北山あさひ『崖にて』)
ひとがひとを恋はむ奇習を廃しつつ昼さみどりの雨降りしきる (川野芽生『Lilith』)
歌集の評価というのは、ある程度年月を経て定まるということはあるでしょう。しかし当書は近年発売された歌集や、話題になった歌人をも取り上げています。特に北山あさひ『崖にて』と川野芽生『Lilith』は2020年に発行された歌集です。このように直近の歌集まで取り上げられているところが、まさに今現在のリアルタイムな短歌の状況を伝えてくれると思います。
歯切れのよい文章
当書の最大の魅力は、著者のはっきりとした物言いではないでしょうか。
例えば、『青卵』(東直子)は次のような文章から始まります。
断言できるが、この二十年間の口語短歌でもっとも影響力が大きかったのは東直子の文体だ。
また次のようにも書かれています。
東のテクニックはほとんど口語短歌の公共物となっているのに、論じられる機会がすくなすぎた。
取り上げられる機会が多ければ、その歌人や短歌は影響力が大きいのだろうと感じるのは当然ですが、論じられる機会は少なくても東直子さんの短歌の影響力が大きかったことを著者自身の目を通してはっきりと述べられています。この断言が読んでいて非常に気持ちよく、なるほどとうなずくばかりです。
もちろん東直子さんの短歌はこれまでさまざまに取り上げられてきたとは思いますが、その方法論やテクニックについて言及されることが少なかったということなのでしょう。当書では、思わず真似してしまう東直子さんのテクニックとして「ですます調」や「他者への呼びかけ」などが具体的作品とともに解説されています。そして一見平易に見える文体にこそ、東直子さんの真の魅力があると文章は続いていきます。
このようなはっきりとした物言いの文章が55冊に対して行われている点が、最大のおすすめポイントです。
他書との関連性への言及
これまでにも短歌入門者を対象とした本は数々出版されてきました。ではそれらの本とどこが同じでどこが異なるのかということはあまり言及されません。つまり当書の立ち位置というか、位置づけがどのあたりなのか、何を目的として書かれているのかということがよくわからない本というのも存在します。しかし当書は「まえがき」で次のように書かれています。少し長くなりますが、引用してみます。
この本は二〇一五年に左右社から刊行された『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』の姉妹本だが、どちらも未読という方はこちらを先に読んでもらってもいいかなと思っている。
何事をはじめるにも、スターターキットの存在というのは重要だ。『桜前線開架宣言』はもちろん、東直子・佐藤弓生・千葉聡による『短歌タイムカプセル』(若手歌人も収録されたアンソロジー、書肆侃侃房)や木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(タイトルの印象よりずっと親切で丁寧で為になる入門書、ナナロク社)など新しいものが増えてきているし、左右社も歌集をどんどん出版しはじめている。そのなかのひとつとして本書をとらえていただけたらと思う。
わたしの短歌スターターキットは、穂村弘『短歌という爆弾 今すぐ歌人になりたいあなたのための』(小学館)と枡野浩一『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)』(筑摩書房)の二冊で、なんと両方とも刊行が二〇〇〇年だった。あのとき、穂村弘と枡野浩一が果たした役割を、二〇二〇年のいま果たしたいとわたしは望んでいる。
そして「あとがき」には次の一文を見つけることができます。
また『桜前線開架宣言』『短歌タイムカプセル』をはじめ既刊のアンソロジーなどを意識しつつある程度はオルタナティブとしても機能するように仕組んでもいる。
これらの記述を見ればわかる通り、既刊の書籍を意識した上で、当書は書かれています。登場する歌集も、歌人も、そして歌も、既刊のアンソロジー等と関連し相互作用を果たすことができるように選ばれているのだと思います。当書と既刊書籍とを合わせて読むことでより、現代短歌の全体像という輪郭が読者の中に浮かび上がるようになっているのではないでしょうか。
そして、当書がこれから短歌の世界に足を踏み入れる人たちにとって、その入口に立つ一冊になることを著者は強く望んでいるのだと感じます。
選ばれている短歌の文字が大きく目立つ
文章の中で選ばれている短歌は、通常の文章の文字のフォントよりもかなり大きく表示されています。ページをパラパラとめくったときにも、まず選ばれた短歌が目に入り、非常に目立つレイアウトとなっています。
反対に各節の最後に記されている十首選は、文章の文字よりも若干小さいフォントが使われています。当書はアンソロジーという性格以上に、文章中でピックアップされている短歌こそが最も読まれてほしい歌、読むべき歌なのだと強調しているように感じます。
まとめ
『はつなつみずうみ分光器 after 2000 現代短歌クロニクル』を読むと得られること・ポイントまとめ
- 2000年以降に刊行された代表的な歌集を知ることができる
- 2000年から2020年にわたる現代短歌の流れを把握することができる
- 短歌をどのように読めばいいのか、歌の「読み」とは何かに触れることができる
- どのような歌と歌が、どの歌人とどの歌人とが、歌風や時代、歌い方において関連があるのかの一端を知ることができる
当書は一度読んで終わりではもったいないと思います。短歌入門者にとって、場合によっては著者の発言の真意を汲みとるのが難しいところもあるでしょう。そんなときこそ手元に置いて何度も何度も読み返すことで、著者が本当にいいたかったことがやがてつかめるようになるかもしれません。だんだんとつかめてくる、その過程を楽しむのも当書を読む醍醐味といえるのではないでしょうか。
書籍・著者情報
書籍情報
著者 | 瀬戸 夏子 |
発行 | 左右社 |
発売日 | 2021年5月25日 |
著者プロフィール
歌人。1985年生まれ。歌集『そのなかに心臓をつくって住みなさい』『かわいい海とかわいくない海 end.』のほか、『現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017』『白手紙紀行』がある。
(当書著者略歴より)