五弁の桜、五つに分かれ散りおれど無数のなかにまぎれてゆきぬ
吉川宏志『石蓮花』
吉川宏志の第八歌集『石蓮花』(2019年)に収められた一首です。
桜といえば、木単位、枝単位など多くの花をまとめて見がちではありますが、この歌は、桜の花びらを見つめて丁寧に描写しています。
風が吹いたのでしょうか。桜の花が散っていく場面ですが、「五弁の桜」とあり、まず五枚の花びらであることが詠われています。そして、そのひとつの桜の花の五つの花びらが「五つに分かれ散り」ゆく様が展開されていきます。
風が吹いて桜が散っていく様子は、多くの人がこれまで何度も見ていると思いますが、そのときに花びらが五枚あり、それらが五つに分かれて散っていくということを意識して見ている人は一体どれくらいいるでしょうか。
ここでは、五枚が二枚と三枚、あるいは一枚と四枚に分かれていくのではなく、一枚ずつに分かれて散る様子としてはっきりと捉えられています。
ひとつの花が五枚に分かれていく、そしてそれら五枚は「無数のなかにまぎれて」いってしまうのです。
すでに無数の花びらが空中を舞っていたのでしょう。あるいは地面に落ちて、そこら一面が桜の花で埋め尽くされていたのでしょう。
ここで注目された花びらが散るよりも前に、無数の花は散っていたのであり、ここより後にも同じように無数の花びらが散っていくのでしょう。
この歌の「無数」は数の多さをいっているのはもちろんですが、時間的な長さまでも伝えてくれる表現になっていると思います。
五つが無数にまぎれていくという景が、感情を伴った表現を用いずに丁寧に詠われることで、深みを感じさせてくれる一首になっていると感じます。