それぞれに目的があり乗り継いだ僕たちの無数のJR
青松輝『4』
青松輝の第一歌集『4』(2023年)に収められた一首です。
通勤、通学だけでなく、休日の移動においてなど、JRは欠かせない乗り物となっているでしょう。
「僕たちの無数のJR」というフレーズが印象的な歌ですが、この歌にはJRを通した、本当に数々の場面が存在していることが窺える一首になっています。
まず「僕たち」から主体ひとりではなく、主体を含む知人や友人の複数を指しているでしょうし、さらにいえば、主体が直接面識はないけれども、同年代で「僕たち」と呼んでもいいような全国各地の多数の人々を指しているといってもいいでしょう。
そんな「僕たち」がJRを利用しているわけですが、各人は何も一回ずつしか乗っていないわけではありません。各人はそれぞれ何度もJRを利用していたでしょう。そして乗るごとに何かしらの「目的」があったのでしょう。さらには電車を「乗り継いだ」ことも数えきれないかもしれません。
「僕たちの無数のJR」には、空間的に多くの人々が含まれていますし、目的の数も数えきれないでしょう。また時間的にも、ある一点を指しているのではなく、これまで何度も繰り返して乗車したり乗り継いだりした様が表れているようです。
JRは日々運行していますが、常に動き続けているといった印象が強いのではないでしょうか。JRを乗り継いできた「僕たち」も同じように常に行動してきたのでしょう。それは「それぞれに目的」があってのことであり、そこから生まれる場面や出来事というのも、本当に「無数」だと思います。
具体的にどのような場面かは詠われていませんので、それぞれの場面は読み手が自分に重ね合わせて自由に想像すればいいでしょう。その特定されない自由度が、読み手が想像する余地を残していてくれることにつながっていると思います。
読み手のJRをも含めた「僕たちの無数のJR」が印象的な一首です。