聖堂をもとおる蔦のくれないは無数の舌のひらめくごとし
島田幸典『駅程』
島田幸典の第二歌集『駅程』(2015年)に収められた一首です。
「もとおる」を漢字で書けば「回る」「廻る」であり、巡りまわるという意味をもつ言葉です。
聖堂の壁の周りには蔦があふれていたのでしょう。その様子を「もとおる」と表したところに表現の工夫と巧さが感じられます。
蔦と聞いてぱっと思い浮かぶのは緑色の蔦ですが、この歌の蔦は紅葉していたのでしょうか、緑色ではなく「くれない」の蔦です。
蔦の一枚一枚の紅の葉が「無数の舌のひらめく」ようであると捉えられています。緑の葉では舌を連想することは難しいでしょうが、紅の葉だからこそ「無数の舌」が想起されたのです。葉の形状と葉の色、またそのときの天候、光の当たり具合など、様々な要素が絡み合って、この聖堂の蔦は「無数の舌」につながっていったのでしょう。
“無数の舌のごとし”ではなく「無数の舌のひらめくごとし」となっているところもポイントで、「ひらめく」という一語が、舌の生々しさをより強く表現しているように思います。
見立ての歌ではありますが、「無数」「舌」「ひらめく」などがつながり合うことで、単に目に見えたというだけに留まらず、触感をもって読み手に伝わってきます。
聖堂と無数の舌という組み合わせもどこか怪しさを湛えているようにも感じられます。一枚の舌ではなく無数であるところに怖ろしさも生まれているでしょう。
蔦から無数の舌への展開が鮮やかに決まった一首ではないでしょうか。