待ってれば麦茶になると思ってた氷多めの父のブラック
水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』
水野葵以の第一歌集『ショート・ショート・ヘアー』(2020年)に収められた一首です。
子である自分の目線から、「父のブラック」を見ている歌です。「思ってた」とあり、回想の歌として読むことができると思います。
「氷多め」の「ブラック」とは、砂糖とミルクなしのアイスコーヒーのことでしょう。
アイスコーヒーは時間が経てば麦茶になる、なんていうことはなく、アイスコーヒーは時間が経ってもやはりアイスコーヒーのままのはずです。しかし、それは物理的な話であって、子どもにとっての信じる力というのは、また別の話になってきます。
子である自分が、「氷多めの父のブラック」が本当に麦茶に変わると信じていたという事実は確かなものであって、それ自体は揺らぐようなものではありません。実際にアイスコーヒーが麦茶になるかどうかはともかく、待っていれば麦茶に変わると信じていたというところがとても重要だと思います。
いわれてみると、確かにブラックのアイスコーヒーと麦茶は似ていなくもないかもしれません。アイスコーヒーは最初はそれこそ濃いブラック色ですが、氷が溶けた後のアイスコーヒーは水で薄まることから、黒の濃さもだんだんと薄まり、麦茶の色に近い色合いになっていく気がします。
薄まったアイスコーヒーの色と、やや濃いめに入れた麦茶の色。近いといえば、近いのではないでしょうか。
「氷多め」が具体的かつ、麦茶色に近づく状況を後押している表現で優れていると感じます。「氷多め」があるのとないのとでは、随分印象が変わってきます。「氷多め」と表現されていることによって、氷が多い分、時間が経てばかなり薄まってしまうのだろうなあと想像できるわけです。
三句の「思ってた」には、強く信じていたというニュアンスが感じられるでしょう。信じているという状況から、主体の思いの確かさが読み手に伝わってきます。「麦茶になると思ってた」考え方や、このとき味わった時間は、大人になるにつれて次第に忘れていってしまうものでしょう。
しかし、「氷多めの父のブラック」を見ていた瞬間、そして「待っていれば麦茶になる」と信じていた瞬間、それはそのときにしか感じられない思いであったでしょう。同時に、再びは体験することのできない状況であり、だからこそ、この一首に詠われた場面の一回性が強く印象に残るのではないでしょうか。

