ターキッシュ・コーヒーにあるトルコみは分からないけど乗り継ぎに飲む
榊原紘『悪友』
榊原紘の第一歌集『悪友』(2020年)に収められた一首です。
飛行機の乗り継ぎにおいて、次の飛行機が出発するまでの間、空港で時間を過ごしている場面です。
「ターキッシュ・コーヒー」とはトルココーヒーのことですが、トルココーヒーといわず「ターキッシュ・コーヒー」といったところに、語感のおしゃれさと実際に現地にいる現場感が一層増しています。
三句の「トルコみ」という表現も面白いです。ターキッシュ・コーヒーだから、それは普通のコーヒーと違うわけで、ターキッシュ・コーヒーと名乗るだけの差異や特徴があるはずですが、主体はその特徴をよくつかめていません。つかめていないけど、ターキッシュ・コーヒーを飲んでいるのです。差異や特徴を「トルコみ」というやわらかな言葉で表現したことで、読み手にとってもターキッシュ・コーヒーに対する距離がぐっと縮まるように感じます。
この歌では、ターキッシュ・コーヒーの味の善し悪しを語ろうというわけではなく、空港においてターキッシュ・コーヒーを飲んだという出来事そのものの大切さが詠われているのでしょう。
乗り継ぎでターキッシュ・コーヒーを飲むということは、いうなれば非日常の出来事であって、その滅多にない出来事を見つめて味わう視線をこの歌から感じるのです。それは今という時間を直視して生きているということにもつながっていくと思います。
派手な歌ではなく、意識しないと見逃してしまいそうなひとときを詠った歌ですが、味わい深い一首ではないでしょうか。
