灯の下にとりどりのパン集まりて神の十指のごとく黄昏
楠誓英『禽眼圖』
楠誓英の第二歌集『禽眼圖』(2020年)に収められた一首です。
パンは非常に多くの種類があり、かたちも様々です。
この歌では、パンのかたちを「神の十指」に例えて詠っています。確かにパンの種類によっては、大きな指のように見えなくもありません。パンの色も、肌の色に似ているといえば似ています。
さて、上句の「灯の下にとりどりのパン集まりて」という詠いぶりは、場面設定が整っているように感じます。むしろ整いすぎているとすら感じます。「灯の下」「とりどり」「集まりて」という言葉の選択が冴えています。
パンに対して「集まりて」のような言葉が使われることで、パンそのものがまるで意思をもっているように表現されています。この三句の言葉の選択が、四句の「神の十指」へとスムーズにつなげるためにはとても重要な働きをしていると思います。
例えば三句が「置かれゐて」のような言葉では、パンが静物のまま感じられ、「指」という動的なものとの落差が大きいように感じます。しかし「集まりて」であることによって、パンに息吹が与えられ、そのことが「神の十指」の登場を唐突と感じさせないようになっているのではないでしょうか。
最後の「黄昏」も「神」のイメージと呼応しています。何となくのイメージですが、「神」と「黄昏」は非常に相性がいいように思われます。この歌を読み終えると、灯りや光の上質なイメージが残るような、そんな印象を抱きます。
パンという日常でよく見かけるものですら、場面や状況次第では神へリンクすることができることを教えてくれる一首です。