ハムサンド乱暴に買い発つことを誰にも告げず特急に乗る
岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』
岡崎裕美子の第二歌集『わたくしが樹木であれば』(2017年)に収められた一首です。
「最後の出社」という一連にある歌ですが、会社を辞めて他の地へ去っていく状況なのかもしれません。
興味を惹かれるのは「ハムサンド乱暴に買い」という詠い出しです。
結句に「特急に乗る」とあるので、駅の売店かどこかでハムサンドを買ったのでしょう。特急が停まる駅ですから、大きな駅かもしれませんし、あまり大きくはなくても売店くらいはある駅だと思います。
ハムサンドを買うときに「乱暴に」買ったのはなぜでしょうか。急いでいて扱いが乱暴になったということもあり得るでしょうが、ここでは急いでいたからというよりも、主体の心の表れから「乱暴に」買ってしまったというように思います。
ただ「乱暴」とはいっても、何もハムサンドに恨みがあったわけではないでしょう。また駅の売店に対して、恨みがあったわけでもないでしょう。
「乱暴に」買う行為へつながったのは、主体自身納得いかない気持ちがあったからだと思います。それは仕事についてのことかもしれませんし、仕事だけに限らず他のことも含めて複数の出来事が重なりあってのことかもしれません。理由は想像するしかありませんが、心の穏やかさを保てていなかったため、ハムサンドを買う行為が「乱暴に」なってしまったのではないでしょうか。
そして、このような気持ちを抱えていることを「誰にも告げず」に特急に乗ったのです。「誰にも告げず」とあえて書かれているところが、却って強調され、本当は誰かに告げたかったのではないかと感じます。
告げたかったのは、ハムサンドを乱暴に買ったことではなく、ハムサンドを乱暴に買う行為に至らせたこの気持ちこそだったのでしょう。
しかし、主体は誰にも告げずに去っていったのです。そこに若干の強さを感じますが、一方で寂しさのようなものも感じます。
さて、このハムサンドはいつ食べたのでしょうか。特急に乗ってもしばらくは手をつけず、袋の中か特急のテーブルに置かれたままだったのではないでしょうか。それは「乱暴に買い発つこと」が影響しているように思います。
この歌を読むほどに、ハムサンドが存在感を増してきます。さまざまなことを想像できる一首ですが、だんだんとハムサンドのイメージがくっきりとしてくる、そんな一首ではないでしょうか。