空白の歌 #9

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空白の短歌

頑なに扉のわきを動かざる男降りたり 後の空白
矢部雅之『友達ニ出会フノハ良イ事』

矢部雅之の第一歌集友達ニ出会フノハ良イ事(2003年)に収められた一首です。

電車の車内の場面を詠っているのでしょう。

電車の中でどこに座るか、あるいは立つかは人それぞれですが、車両の中で何となく心地いい場所、反対にあまり好きではない場所というものをもっている人もいるのではないでしょうか。絶対に座らないと駄目という人もいれば、立っているのがいい人もいるでしょうし、車内の真ん中付近がいいという人もいれば、なるべく端の場所がいいという人もいるでしょう。

掲出歌は、ある「男」が登場しますが、その男は扉付近に立っていたのでしょう。駅に着くたびに人が乗降してくる間も、扉付近を動かずにいたのだと思います。「頑なに」の一語がその様子を想像させます。

主体は、「扉のわき」を動かずにいる男を見ていたのですが、その男がどこかの駅で降りるまで、その男の存在が何となく気になっていたのでしょう。

男が降りた後には、それまで男が立っていた場所に当然ながら男はおらず、そこにはただ男がいないという状態だけが残されるはずですが、主体はその空間に「空白」という存在を見いだしてしまうのです。

「後の空白」と表現されることで、そこには何もないという状態ではなく、「空白」という状態があるというふうに感じてしまいます。

つまり、この空白はまるで男の体の輪郭と同じ「空白」のように感じます。これまで男が占めていた空間について、男が降りた後にそこは無となるわけではなく、「空白」が新たに占有する空間になるような印象を受けます。

男が「頑なに」動かなかったからこそ、その空間の場所と密度が凝縮され、「後の空白」がより一層輪郭を伴って伝わってくるのではないでしょうか。

この歌の詠い方によることが大きいと思いますが、車内のよくある光景が違和を伴って迫ってくる一首だと思います。

電車の扉付近
電車の扉付近

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