おまえは生きているうち一度でも空を見たかと問う鶏肉に
佐佐木定綱『月を食う』
佐佐木定綱の第一歌集『月を食う』(2019年)に収められた一首です。
生きていくということは食べるということであり、つまり動植物の命なしに我々人間は生きていくことはできません。
“いただきます”という言葉は、命をいただくことへの感謝を意味していますが、時にその言葉はかたちだけのものになることも少なくないでしょう。現代の生活や環境において、食事の度に心の底から命をいただくことの感謝を感じている人は一体どれくらいいるのでしょうか。
掲出歌は、そんな食べるということはどういうことかを改めて考えさせてくれる一首です。
「おまえは生きているうち一度でも空を見たか」と問うている場面ですが、それは生き物としての鶏に対してではなく、すでに死して肉となってしまった「鶏肉」に対して問うているのです。
もう空を見ることができない鶏肉に問うところに、何ともいえない複雑な思いが交錯するように思います。
「空を見たか」という問いかけは鶏肉に対してなされていますが、それは同時に自分自身に対する問いかけでもあるのでしょう。
空を見るという行為は、いわば前向きで希望を思わせる行為ですが、今の自分は本当に空を見ているのだろうかという問いが、鶏肉への問いかけの向こうに見えてくるように感じます。
自分がいつか死んだときに、本当に空を見たといえるのだろうか、そんなふうに今の自分は生きているのだろうか、そのような問いかけが読み手に伝わってくるのではないでしょうか。
初句の「おまえ」は鶏肉であると同時に、それ以上に自分自身を指しているのでしょう。
この歌の主眼は、鶏肉に対する心寄せではなく、自分自身の今の状況に対する警告と鼓舞にも似た思いなのではないでしょうか。
鶏肉を通して主体自身の姿が立ち現れる一首だと感じます。