ショートケーキを箸もて食し生誕というささやかなエラーを祝う
内山晶太『窓、その他』
内山晶太の第一歌集『窓、その他』(2012年)に収められた一首です。
生命の誕生は、数億の精子の中からたったひとつが卵子と出会うことでなされるのであって、「生誕」といえば、奇跡、偶然、神秘的といった事柄と関連づけられることが多いと思います。
しかし、掲出歌では「生誕」はなんと「ささやかなエラー」として捉えられているのです。
この捉え方にまず驚いてしまい、これまで生誕に対して抱いていたイメージが覆されるような衝撃があります。
生誕はエラーであり、エラーによって人は誕生するのだというのです。「ささやかな」というところも見逃せないでしょう。完璧なエラーではなく、ささやかなエラーであるところに、偶然性は残しつつも、生誕を喜ばしいこととして殊更もちあげない態度が表れているように思います。
違和感は上句によく表れているでしょう。
「ショートケーキ」からお祝い、クリスマス、誕生日など特別な日の場面であることが想像できます。ここでは「生誕」という言葉から、誕生日を想像するのが一番しっくりくるではないでしょうか。
さて「ショートケーキ」はフォークで食べるのが一般的かと思いますが、この歌では「箸」を使って食べているのです。ケーキを食べるのに当たり、箸を使おうが、スプーンを使おうが、手で食べようが、それは自由なのですが、あまり選ばれないであろう「箸」の登場によって、ちぐはぐな印象が一層強まっていると感じます。
そのちぐはぐな感じは、ケーキの食べ方に留まらず、誕生日にケーキを食べること、もっといえば生誕を祝うことそのものへの違和に通じるのかもしれません。
結句の「祝う」も、心の底から本当に祝っているような印象は薄いように思います。むしろ形式的に祝っている感じが出ているといってもいいでしょう。生誕を完全肯定しているわけではなく、かといって完全否定しているわけでもなく、かたちの上ではあるけれども祝う程度のスタンスをもっている微妙な心持ちが感じられるのです。
下句だけでは概念的で意図が伝わりにくい歌となりますが、上句の具体的場面があることで下句が補強され、歌としてとても完成度の高い一首だと思います。
ショートケーキを詠った歌で、生誕とエラーについて触れたのはこの歌が初めてかと思いますが、大変印象深い一首です。