雨宿りやめる決意を君はする止んだのか濡れる気かは知らない
山田航『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』
山田航の第三歌集『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』(2022年)に収められた一首です。
雨が降っているのに傘がない、けれども移動しなければならないという場面には幾度も出くわした経験があるのではないでしょうか。
あるいは傘はもっているけれど、雨が強すぎて今すぐ飛び出す気がしないというときもあるでしょう。
そんなとき一旦雨宿りをしますが、雨宿りを永遠につづけるわけにはいきません。すぐに雨が止めばいいのですが、雨がずっと降りつづけてなかなか止まない場合、どこかで雨宿りを止めなければならない状況は訪れるでしょう。
そのタイミングは自分で決めるしかありません。この歌の「決意」という語には意志の強さが表れています。
「止んだのか濡れる気かは知らない」とありますが、「決意」するのはおそらく雨が止んでいないからでしょう。もし止んでいれば「決意」という強い意思決定をする必要はありません。雨が止んだという状況に従って、ただ単に雨宿りをやめるだけでいいからです。
「雨宿りやめる決意」は、まだ雨が降っている状況であるからこそ活きてくるように思います。そこにこそ、決意をする「君」の姿の強さが表れているのではないでしょうか。
さて、この歌の「雨宿り」は実際の雨宿りではなく、何かの喩として捉えてもいいでしょう。むしろ、生きていく中で訪れる障壁を一時的に避けることを指しているととった方が、この歌の場合、広がりが出るのではないでしょうか。
一旦は”待つ”ことを選んだけれど、どこかのタイミングで”飛び出す”決意をしなければならない場面というのは、人生において数々訪れると思います。
しばらく待っても状況が変わらない場合自ら決める必要がありますが、その決意には心理的にかなりの負荷がかかることでしょう。
けれども人はどこかで決意をしなければなりません。それは状況が厳しければ厳しいほど、より一層その決意は求められるのかもしれません。
この歌を読むと、決意そのものが尊く重要なものだと感じますし、決意することの力強さが伝わってきて、印象深い一首となっています。