産むことと死ぬこと生きることぜんぶ眩しい回転寿司かもしれず
柴田葵『母の愛、僕のラブ』
柴田葵の第一歌集『母の愛、僕のラブ』(2019年)に収められた一首です。
「産むこと」と「死ぬこと」そして「生きること」が並列になっていますが、一生というものを大枠で捉えるとこの三語に集約されるのかもしれません。
誕生して、どう生きて、どのタイミングで死ぬのか、それを一生といっても差し支えないのではないでしょうか。むしろ一生とは、人によって細かいレベルでの違いはありますが、どの人にとってもこの経路をたどるといってもいいでしょう。
この歌では、「産む」「死ぬ」「生きる」という大きなテーマを、すべて「回転寿司」に喩えているところがユニークであり、読みどころだと思います。
回転寿司の特徴といえば何でしょうか。
回転寿司の場合、どんな寿司皿が流れてくるかは目の前にくるまでわかりません。また、どの皿を取るかは自分で決めますが、タイミング次第で取れたり取れなかったりします。
つまり、回転寿司の特徴をひとことでいうならば、”巡り合わせ”ではないでしょうか。
回転寿司の皿が止まることなくどんどん流れていくように、人生の時間もどんどん経過していきます。
この世に生を受けること、あるいは子どもを産むこと、やがて死ぬこと、死ぬまでは生きていくこと、それらすべては巡り合わせであり、回転寿司のイメージからこの巡り合わせが強く想起されます。
ひとりの一生というものは、深遠で広大な宇宙の中においては本当に小さな出来事かもしれません。それも巡り合わせのような偶然によって成されるのであれば、非常に頼りなく寂しささえも感じてしまうでしょう。
しかし、一筋の光があるとするならば、それは「眩しい」と詠われているところです。
ひとつひとつの巡り合わせはすべて眩しさを伴って訪れるところに、この歌がもつ明るさへの方向性のようなものを感じ、印象深い一首です。