生きることすべてが予感じみている栞ははじめから挟まれて
鈴木晴香『心がめあて』
鈴木晴香の第二歌集『心がめあて』(2021年)に収められた一首です。
人生は何が起こるかわからない、とよくいわれますし、実際思いもよらないことが起こる経験をしたことのある人もいるのではないでしょうか。
さて掲出歌は、そのような考えとは反対に位置する人生について詠っているように思われる歌です。
上句の「生きることすべてが予感じみている」は強いフレーズであり、このようにいい切られることによって、予感じみている生の存在を読者は否応なく考えされられます。
予感とは、何かが起こりそうだと前もって感じること。つまり、ここでいう生きることは何が起こるかわからないの連続ではなく、すべて何かが起こりそうだとあらかじめ感じてしまう連続であるということです。
ここでひとつ問うてみたいと思います。
予感じみた人生は、果たして幸せなのでしょうか。
「生きることすべてが予感」の人生に対しては人それぞれ受け取り方があるでしょうが、この歌の場合、下句の情景と相まって、どこか寂しさのようなものを感じます。
登場するのは「栞」です。
人生を一冊の本に喩えたとき、栞は人生におけるイベントを指すでしょう。この歌においては「生きることすべて」とありますから、栞はあるいは一枚ではないのかもしれません。複数枚、いやもしかするとすべてのページに栞が挟まれているのかもしれません。またひとつのページに挟まれる栞の大きさはまちまちではないか、などさまざまに想像してしまいます。
ここでいう「栞」は自分の手で挟んだものではないでしょう。すでに誰かの手によって挟まれていたのです。
その栞を動かしたり、取り払ったりすることはできるのでしょうか。おそらくできないのではないでしょうか。
本を読み進めるように、人生も日々経過していき、ページの栞に遭遇します。その栞は予感の結果としての栞なのだと思います。
栞が挟まれたページにたどり着いたとき、予感が正しかったということを認識するのでしょう。そしてその予感と認識を繰り返しながら、人生はずっと続いていくでしょう。
予感を抱えながら生きていくとはどういうことなのか、その思いを、何度も考えさせられる一首です。