ラーメンの歌 #13

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ラーメンの短歌

三分間待てずに食べるラーメンの鈍い歯触り悪くもないさ
松村正直『駅へ』

松村正直の第一歌集駅へ(2001年)に収められた一首です。

カップラーメンのパッケージには、大抵「熱湯3分」と書かれており、お湯を注いでから3分待つと食べごろになるようにつくられています。中には4分だったり、5分だったりするものもありますが、カップラーメンは3分という結びつきのイメージが強いのではないでしょうか。

さて、掲出歌は、その「三分間」を「待てずに食べる」場面を詠っています。「待たずに」ではなく「待てずに」なのです。「待たずに」であれば、冷静な意思が早めに食べさせていると捉えることができますが、「待てずに」なので、そこには、冷静さとは別の何らかの力が働いていると読むのが普通でしょう。

「待てずに」とありますが、幼い子どもでもない限り、その「三分間」が我慢できないということはないでしょうから、早く食べたくて食べたくて仕方がないという状況よりは、早く食べなければならない何らかの理由がある状況を思い浮かべる方が適切なように思います。

例えば、職場の昼休憩にカップラーメンを食べるとして、昼休憩の時間がろくに取れない状況を考えれば、その三分間すら「待てずに」というのは納得できるでしょう。このような状況は、下句の「鈍い歯触り悪くもないさ」とも呼応し、やむなく固い麺のまま食べている様子を浮かべることができます。

けれども、このようにありそうな状況を当てはめてしまうと、なぜかこの歌が面白くなくなってしまうように感じるのです。

この歌において、やはり「待てずに」がポイントだと思います。この「待てずに」を、先ほど見たような他からの強制力と捉えてしまえば、常識的な読みとはなるものの、その分歌の力が弱まるように思います。

「待てずに」は他に起因するのではなく、むしろ主体自身から発せられたものであると捉える方が、歌に勢いが出てくるのではないでしょうか。

本能というか、欲望というか、そういったものが「待てずに」を引き起こしていると読みたいのです。そういう意味では、三分間が我慢できない子どもと同じかもしれませんが、自身の内から湧き起こる感情によって「待てずに」はかなり活きてくる表現だと感じます。

自ら「待てずに」食べ、自ら「鈍い歯触り悪くもないさ」と思い至るところに、自分自身を見つめる深い目が滲み出てくるような一首で、印象深い歌だと感じます。

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