いい短歌の基準というのはどこにあるのだろう? 短歌一首一首をどういうふうに読めば、その短歌のよさをもっと味わうことができるのだろう?
短歌にアプローチする方法として、「詠む」と「読む」といった基準で分けて考えるというやり方があると思います。つまり実作側と鑑賞側という分け方です。
もちろんどちらも大切なのですが、両方を一緒に学ぶよりも、ある一時においてはどちらかに特化して短歌に触れる方がより理解が進むということはあるでしょう。
今回紹介する穂村弘の『はじめての短歌』は、どちらかといえば「読む」の理解が進む一冊です。
短歌にほとんど触れたことがない人や、短歌を始めてみたのだけれどまだ歌歴が浅い場合、短歌をどのように読めばいいのかがなかなか難しいところです。
いい歌とされている一首が、具体的にどこがどのようにいいのか、鑑賞文を読んでもあまり理解できない場合もあると思います。
そんなときにおすすめの一冊のひとつが当書です。
具体例を挙げながら、言葉の表面的なところだけでなく、かなり深いところにまで突っ込んで一首のよさを探っていくところが特徴的です。
特に短歌をどう読むと短歌のよさを感じることができるのかが気になる人は、ぜひ手にとってもらいたい一冊です。一冊を読み終えるころには、短歌に対する見方が大きく変わっていることを実感できるのではないでしょうか。
当書のもくじ
まずは『はじめての短歌』のもくじを見てみましょう。
第一講 僕らは二重に生きていて、短歌を恋しいと思っている
- 0.5秒のコミュニケーションが発動する
- 短歌が手渡すのは、例えば何か、きらきらしたもの
- 母ちゃんの「赤い目薬」が懐かしいのは
- コンタクトレンズではなく、蝶々の唇を探すNGな人
- 課長代理は必要だけど、夫代理がいては困る世界
- あのおばあさんは今どうしているのだろうか?
- 死を恐れる僕らは、短歌を作り、飲み会の席を選ぶ
第二講 短歌の中では、日常とものの価値がが反転していく
- ステーキより、鯛焼きのばりが価値をもつ世界
- ほこりまみれの鳥籠に「それ以上の感情」が宿る
- 「どうでもよさ」の微妙なグラデーションを見分ける
- 愛の告白も短歌も、欠点を愛することが大切
- 「昭和」には、ボブやだーだーおじさんがいた
- 録音の声しかしない駅は、平和でいいんだけど
- 火星に行けない迷子のおじいさんはダメな人なのか
- 使用前と使用後、どちらのくす玉に詩性は存在するのか
- 家がわからなくなったことに美しさを見出す感受性
第三講 いい短歌とは、生きることにはりつく短歌
- 「生きるってなんなの?」の答えを求めて「じょんじゃぴょん」
- 熱海の四畳半にて、女の人とこたつとミカンとコロッケと
- 地球存続の観点からいうと、会社より詩歌のほうが重要
- 祖母への父たちへのリスペクト
- 内なるコンビニ的圧力との戦い
- もやもやしたまま綱引きしているから「生きる」輝きに憧れる
- 泥棒は反社会的じゃない、反社会的とはこの人みたいな感じ
- おじいちゃんだって「太郎君なり」のほうがうれしい
- 猫の姿が運命を可視化する
- 社会的にダメでサバイバル力が低いから小さな死によく遭遇する
- 世界と社会と人間の集団は、イコールじゃないのだと異議申し立て
第四講 短歌を作るときはチューニングをずらす
- 留学生の日本語① その神秘的な間違いに素敵回路が誤作動する
- 留学生の日本語② たったひとつの言葉が世界を背負う
- 会社の歌① 現実では奇妙なことが起きるそのリアル感
- 会社の歌② 社長は宇宙人、事務は友達 共有しているイメージを使う
- 大事なことをわざと書かない① 体温を手渡したいから書かない
- 大事なことをわざと書かない② 書かないほうが生々しい
- 大事なことをわざと書かない③ 強調して裏返って憎しみが愛に変わる
- 短歌のリズム① 罪を犯すことで終わらない夜道が生まれる
- 短歌のリズム② ガタガタの音数に込められた嫌悪と絶望と揶揄と
- 共感と驚異① やったことがないからぐっときちゃう
- 共感と驚異② 木片では啄木になれない ピストルが必要だ
- 共感と驚異③ 普通にあることでは「あるある!」とはならない
- オノマトペ① オノマトペの妥当性は五感より上位の何かが判断している
- オノマトペ② いいオノマトペは心に上書きされる
- 誰が詠んでもOKですが素敵なことを詠むと失敗します
あとがき
参考文献一覧
もくじの見出しを見ているだけで、はてなマークが浮かぶ題が多いことに気づくでしょう。
一般的な短歌入門ではこうはいきません。リズムを意識しよう、動詞の数に気をつけようなど、ポイントが順序立てて書かれていることがほとんどですが、当書がこれら一般的なものとはひと味違うのがこの見出しを見るだけでわかります。
当書の内容は、慶應丸の内シティキャンパス夕学プレミアム『agora』における講座「穂村弘さんと詠む【世界と私を考える短歌ワークショップ】」(2013年1月12日~3月16日・全6回)をもとに構成されたものです。
おすすめのポイント
それでは、当書の特長やおすすめのポイントを順番に見ていきます。
短歌の世界の価値は一般社会の価値と違うことがわかる
一冊を通して何度も繰り返し述べられているのは、短歌の世界とはどういうものかということです。短歌の世界の価値は、一般の社会やビジネスの世界の価値とどう違うのか、著者はそれを繰り返し提示することで短歌の世界を読み手に伝えてくれています。
日常を見る尺度で短歌の世界を測ろうとしてもなかなかうまくいきませんが、短歌の世界を理解するために、一般社会との比較を通して徐々に理解が深まっていく流れです。
ここでキーワードとなるのが「生きる」と「生きのびる」。
ざっくりといってしまえば、著者の主張は「生きのびる」を詠った歌はつまらない歌で、「生きる」を詠った歌はいい歌ということです。
つまり短歌の世界においては「生きのびる」よりも「生きる」が重要であるということ。
ではここでいう「生きる」と「生きのびる」とは一体どういうものを指すのでしょうか。当書で述べられていることを基に簡単な表にしてみました。
生きる | 短歌の世界、社会的に価値のないもの、換金できないもの、ヘンなもの、個人的な体験、詩的な言語、非効率 |
生きのびる | 日常、一般社会、ビジネスの世界、サバイバル、ないと困る、万人がそう思う、万人に有益、社会的な情報、社会的な言語、効率、ラベリング |
「生きのびる」というのは、いってしまえば日常の生活を指しています。一般常識をもちながら、社会の一員として働き、日々生活するためにお金を稼ぐといったことです。それは個人的なことよりも万人共通の枠組みや理解が優先される世界といっていいでしょう。
一方「生きる」というのは、そういった社会的な世界とは距離を置いた個人的体験が優先される世界を指しています。「何のために生きるのか」という問いにもつながってきます。社会的に価値がなかったり、非効率であったりするものこそが優先されたり、輝かしく感じられたりする世界といえるでしょう。この世界に触れた短歌こそが、短歌としてはおもしろく、いい歌であると述べられています。
ここで一点留意すべきことは「生きる」と「生きのびる」は対極にあるものではないということです。誰もが「生きのびる」をもった上で「生きる」をもっているということです。つまり二重性という位置づけです。第一講の章題「僕らは二重に生きていて、短歌を恋しいと思っている」の「二重」とはまさにこのことをいっているのです。
短歌をつくるにしても読むにしても、短歌を理解するのに当たり、文法であるとか技巧的な面に注目することもひとつですが、それよりももっと大切なことは、短歌の世界そのものはどういう世界なのかを理解することだと思います。
短歌の世界観を捉えるのはなかなか難しいのですが、当書では「生きる」と「生きのびる」という二つのキーワードでわかりやすくイメージできるようになっているところが特長だと感じます。これは第一講から第四講まですべての章に共通して繰り返し触れられています。
このような短歌の世界そのものへの内容を記した短歌入門書は少ないと思いますので、これを読むことで短歌への理解はずっと深まります。
改悪例や補完例によって、元歌のよさがよくわかる
いい短歌とは何かを知るに当たって、当書では「改悪例」や「補完例」が示されているところも大きなポイントだと思います。
通常、元の短歌一首を示して、添削例や改案などが提示されるのですが、ここでは全く反対の「改悪例」が示されているのです。
改悪例とは、元歌に対して著者がわざと歌が悪くなるように一部を変更した歌を指しています。
例えば次のような例が取り上げられています。
(元歌)目薬は赤い目薬が効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす (河野裕子)
(改悪例1)目薬はビタミン入りが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす
(改悪例2)目薬はVロートクールが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす
二句の「赤い目薬」が改悪例では「ビタミン入り」「Vロートクール」に置き換えられています。原作より改悪例1の方が、そして改悪例1より改悪例2の方が情報の精度としては上がっています。店で買う場面を想像したとき、「Vロートクールください」といえばすぐに伝わりますが、「赤い目薬ください」といっても店員は少し困るのです。
情報の精度が高いことと、短歌としていいかどうかは比例しないのです。
改悪例が提示されることによって、元歌との比較ができ、元歌のよさがよりはっきりと際立ってくるのがわかります。元歌だけが掲載されている場合と比べ、比較対象があることで、元歌のどの部分がどのように表現されていることによりその一首がいいのかという点がとてもわかりやすく伝わってくるのです。
改悪例の提示は、上に述べた「生きる」と「生きのびる」の比較とも関わってきます。つまり元歌が「生きる」であるとすれば、改悪例は「生きのびる」へ寄せたものとなっています。「生きのびる」という例を提示することで、元歌の「生きる」のよさが改めて感じられる仕掛けとなっています。
改悪例だけでなく、補完例が示された部分もあり、これらの提示によって読み手が比較でき、そこから短歌のよさがどのあたりにあるのかを理解する手助けになっている点が優れていると思います。
日常生活に関わる短歌が多く取り上げられており、親しみやすい
日常生活に関わる短歌が多く登場する点も読み手にとっては親しみやすく、共感できたり、内容に入っていきやすかったりするので、これもいいポイントだと思います。
例えば次のような歌が取り上げられています。
録音でない駅員のこゑがする駅はなにかが起きている駅 (本多真弓)
雨だから迎えに来てって言ったのに傘も差さず裸足で来やがって (盛田志保子)
お一人様三点限りと言われても私は二点でピタリと止めた (田中澄子)
日常生活に即した短歌であるからこそ、イメージしやすく、より一層これらの短歌とその鑑賞に寄り添っていくことができるのではないでしょうか。
さて短歌入門に関わる本を読む際、どのような歌が取り上げられているかというのも、その本を読む楽しみのひとつでしょう。取り上げられている歌が知っている歌であればその歌の魅力にさらに気づくきっかけになるでしょうし、知らない歌が取り上げられていれば、この出会いから作者のさらに別の歌に触れてみようという機会になるかもしれません。
当書ではこの他にどんな歌が具体例として挙げられているのか、実際に当書に触れて確かめていただきたいと思いますが、これも見どころのひとつです。
まとめ
『はじめての短歌』を読むと得られること
- 短歌の世界観はどういうものかを知ることができ、短歌を読むとはどういうことかが実感できる
- 改悪例という一風変わった比較対象が提示されることで、短歌のよさがどういうところにあるかが理解しやすい
- 取り上げられる短歌は日常生活に関わるものが多く、内容に入っていきやすい
当書は、短歌がうまく読めない、鑑賞できない、一首のよさがわからない、一首のどこに注目していいかわからないといった人に特におすすめの一冊です。技術的なことというよりも、もう少し幹に当たる部分、つまり短歌とはこういうふうに読めばいいんですよといった点を示してくれる一冊です。具体例も豊富で、タイトル通りはじめての人でも面白く読める一冊になっていると思います。
書籍・著者情報
書籍情報
著者 | 穂村 弘 |
発行 | 成美堂出版 |
発売日 | 2014年4月20日 |
※最初成美堂出版から刊行されましたが、その後2016年10月6日に河出書房新社より河出文庫として新たに刊行されました。
著者プロフィール
歌人。1962年、北海道札幌市生まれ。1990年歌集『シンジケート』でデビュー。2008年評論『短歌の友人』で伊藤整文学賞受賞。歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館)、『ラインマーカーズ』(小学館)、エッセイ集『蚊がいる』(メディアファクトリー)をはじめ、対談集、絵本の翻訳など著書多数。2008年から日本経済新聞の歌壇選者。
(当書著者略歴より)