泣いていたあなたが僕の下手くそな手品で笑う 手品みたいだ
木下侑介『君が走っていったんだろう』
木下侑介の第一歌集『君が走っていったんだろう』(2021年)に収められた一首です。
ここで登場する「あなた」は、主体にとって親しくて大切な人なのでしょう。自分にとって大切な「あなた」が泣いているのは、とても悲しいことかもしれません。
そんな「あなた」に笑ってもらいたくて、主体は手品を見せたのです。どんな手品だったのでしょうか。
トランプを使った手品でしょうか。コインを使った手品でしょうか。あるいはハンカチを使った手品かもしれません。
いずれにしても、その手品は決して上手な手品ではありませんでした。むしろ「下手くそな手品」であったのですが、そんな下手な手品でも「あなた」は笑ってくれたのです。
ひょっとすると主体は「あなた」に見てもらうために、この手品を練習したのかもしれません。でも「下手くそな手品」とあるので、あまり練習していないのかもしれません。本気で見せるのであれば、ある程度うまくなるまで練習するものではないでしょうか。
でも、下手くそな手品だったわけですから、主体は元々この手品を知っていたのかもしれません。偶々「あなた」が泣いている姿を見かけたのかもしれません。そのとき、主体の手元には、驚かすためのバラの花束もなければ、勇気づけるための歌声もなかったのかもしれません。かろうじて、昔覚えた簡単な手品があったのかもしれません。
何もシルクハットを用意する必要もありません。服の中に鳩を忍ばせる必要もないでしょう。その場でパッと見せられる手品。このときには、そんな即興でできる簡単な手品がとても有効です。そんな下手くそな手品を「あなた」に演じてみせたのでしょう。
下手くそだから笑ってくれたのでしょうか。そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。でもそんなことはどうでもいいことのように思います。
「あなた」が笑ってくれたこと、それが一番だからです。こんな下手くそな手品で「あなた」の笑顔が見られるなんて、本当「手品みたい」です。
「手品で笑う」と「手品みたいだ」が登場しており、「手品」の入れ子になっているような表現です。
難しいことは何もいっていませんし、技巧を凝らした歌でもないでしょう。でも読み手の心にストレートに伝わってくる歌であり、読み終えると心が温まる一首です。
「あなた」の笑顔が本当に輝いていて、いつまでも印象に残り続ける歌ではないでしょうか。

