傘のなか青信号を待ちながらきみには告げないきみの悪癖
榊原紘『悪友』
榊原紘の第一歌集『悪友』(2020年)に収められた一首です。
この歌は、歌集名ともなっている連作「悪友」の中にありますが、ここで詠われている「きみ」は「悪友」を指すのでしょう。
雨が降る中、「きみ」と一緒に青信号に変わるのを待っている場面と読みました。それぞれ傘を差していて、距離はつかず離れずといったところでしょうか。雨の降る音、自動車の走る音など、周りの音が二人を包んでいます。
信号待ちの時間というのは短い時間ではありますが、特に何かをするわけでもなく、考えを巡らすのに向いている時間ではないでしょうか。何かを考えようとしなくても、自ずと思考に向かってしまうといったほうがいいかもしれません。
「きみ」と会話しているときには影を潜めていた考えも、信号待ちをしているときに膨らんでくるということはあると思います。主体は「きみの悪癖」に思いは及んでいるのですが、それは「きみ」には告げないのです。
告げたくて告げないのでしょうか、それとも告げたくなくて告げないのでしょうか。告げれば何かが変わるかもしれませんが、「きみには告げない」と詠っている時点で、あえて告げないという思いが滲み出ているように感じます。
信号待ちの瞬間に、きみについて改めて見つめ直している主体がいます。しかし、それも信号待ちという状況がつくり出したものなのだと思います。
今後もきみにこの悪癖が告げられることはおそらくないでしょう。青信号に変われば、ふたりは横断歩道を渡り、悪癖を告げることも、告げられることもないふたりとして、また元の関係に戻っていくのでしょう。
信号待ちという日常的な短い時間ですが、同時に思考という旅へ連れていってくれる特殊な時間であることが、「悪癖」という具体性と、主体ときみとの関係を通して、よく表れた一首なのではないかと感じます。