〈誘ひながらどこか拒んでゐるやうな新緑の岐阜そのさきの滋賀〉という巻頭歌で始まる、荻原裕幸の第七歌集は何?
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『永遠よりも少し短い日常』
『永遠よりも少し短い日常』は2022年(令和4年)に出版された、荻原裕幸の第七歌集です。340首が収録されています。
まず「わたし」「わたくし」を見つめる目に注目しました。
自分自身を見つめる目は主観的でもあり、客観的でもあるような、どこかその中間地点から見つめるような視線を感じます。つかず離れずといった表現が適切かわかりませんが、「わたし」が全面に出るわけでもなく、かといって完全に自分とは違う別物扱いとして捉えているわけでもなく、そのあたりの微妙な頃合いがとても魅力的に映りました。
登場する事物や事象はさまざまです。歌集名にも「日常」とありますが、日常のものから、家族、人名、自然、季節、天候などいろいろです。それらが理屈の歌ではなく、心地よいリズムとともに届けられます。一首にはどこか謎というか、問いかけのようなものが残り続けます。その答えの曖昧さが歌の魅力になっていると思います。
もうひとつ、本歌集の表記の面で注目しておきたい点があります。それは一首あたりの文字数についてです。
本歌集収録340首において、一首あたりの文字数は25~29文字に収まっています。しかもそのほとんどが27文字か28文字となっており、27~28文字の歌は全体の83.5%を占めています。ほとんど27文字か28文字を基準にしてつくられているといっていいのではないでしょうか。
音数でいえば字余り字足らず等あるため、31音を前後しますが、文字数はかなり意識して漢字や仮名の表記が選ばれているのでしょう。したがって各頁に掲載されている短歌がほぼ同じ高さをもって視覚に入ってきます。極端に短い歌があったり、逆に長い歌があったりすることがないため、印字された文字の大きさも適切なサイズとなっており、印字された文字と空白の点からも、読んでいて非常に心地よく感じました。
読むたびに、読むときによって、感じる思いが異なるであろう歌にあふれている本歌集は、だからこそ何度も読み返したくなる一冊です。
『永遠よりも少し短い日常』から五首
わたくしをすべてひろげて丁寧に折りなほす青い鶴となるまで
わたしは私をきんもくせいは金木犀をはなれてあそぶ名城公園
いまのいままでわたしの尖端だつたのに切られて冬の灰皿に爪
妻の来ない場所がわたしのなかにある真つ暗で明るくて静かな
わたしからわたしを剝がすやうにして煙草を買ひに出る冬の朝