鈍痛は遠くわたしにちらついて錆の匂いのかおる自転車
山崎聡子『青い舌』
山崎聡子の第二歌集『青い舌』(2021年)に収められた一首です。
「錆びの匂いのかおる自転車」からは、時間の経過、過去、郷愁を感じます。
これに呼応するように「遠く」という表現は、距離的なものではなく時間的な遠さを表しているのでしょう。しかし「わたし」のいる時間は必ずしも過去のわたしというわけでもなく、過去なのか現在なのか非常にあいまいに感じます。過去のわたしのようでもあり、現在のわたしのようでもあります。それは「遠く」「ちらついて」「かおる」といったどうにも境界があいまいな言葉がつながれているからだと思います。
鈍痛がちらつくという表現も少し捩れているでしょう。ちらつくという場合、通常は視覚に対する表現だと思いますが、ここでは鈍痛という触覚に対する表現に使用されているのです。
このような表現によって「わたし」の存在の境界線はますますあいまいになっていくのですが、そこがこの歌の魅力であり、歌の巧さなのだと感じます。
鈍痛の正体はわかりませんが、鈍い痛みがやがて「錆の匂いのかおる自転車」という嗅覚と視覚の混ぜ合わさった具体物へと変換されていくという、五感の推移や混合を味わわせてくれる一首ではないでしょうか。