サドルには日照雨が残り手の甲でかるく拭って漕ぎだすまでだ
榊原紘『悪友』
榊原紘の第一歌集『悪友』(2020年)に収められた一首です。歌集の掉尾に置かれています。
「日照雨」はふりがながありませんが、「そばえ」と読むと二句七音に収まります。
日照雨は、文字通り日が照っているのに降る雨のことですが、その日照雨が上がった後の場面でしょう。自転車のサドルに雨粒が少し残っていますが、雨の暗いイメージではなく、外は晴れていて明るさを伴った景色が浮かびます。
結句の「漕ぎだすまでだ」が何より頼もしいと思います。「漕ぎだす」という動詞は、自転車ととてもマッチしているでしょう。自動車やバイクではこうはいきません。自らの脚の力で前へ進んでいくんだという意思が表れており、「までだ」からは、行先や目的は二の次でとにもかくにも、今自転車に乗って進むという行為そのものにフォーカスが当たっていると感じられます。
背景は決して明るいことだけではないでしょうが、雨粒を「かるく拭って」いるところからどこか心の余裕を感じさせ、深刻になっていないところがいいと感じます。
サドルについた雨を拭って自転車に乗る、この何気ない日常の場面が、明るさと前向きさをもって読み手にしっかりと伝わってくる一首ではないでしょうか。