ハンカチをかぶせるだけの子の手品われは見ており日曜の昼間に
松村正直『午前3時を過ぎて』
松村正直の第三歌集『午前3時を過ぎて』(2014年)に収められた一首です。
「ハンカチをかぶせるだけ」の手品とはいったいどのような手品でしょうか。
ハンカチを使う手品においては、ハンカチそのものを変化させるというよりも、何かを隠すための小道具として使われることが多いと思います。プロのマジシャンであれば、カードやコインあるいは指輪などにハンカチをかぶせて、おまじないをかけて出現や消失といった不思議な現象を見せてくれることでしょう。
掲出歌は、そのようなプロの技ではなく、「子」が見せてくれた手品なのです。何ともほほえましい一場面を想像してしまいます。ハンカチをかぶせたものは明確にされていませんが、ハンカチに隠れる程度の小物には違いないでしょう。カードやコイン、指輪といったプロマジックっぽい品物ではなく、子どもが愛用しているおもちゃのひとつだったのかもしれません。例えば、ミニカーやままごと用の消しゴムなどが思い浮かびます。
何にハンカチをかけたかはわかりませんが、いずれにしても、ハンカチをかぶせるだけで手品になるというところに、親と子の関係性が垣間見えるようであり、そこがこの歌の魅力的な部分です。
しかも、結句の「日曜の昼間に」という状況が詠われており、休日の穏やかな家族の場面を思わせて、より一層あたたかみを与えてくれる歌になっています。
手品といえば、まずテクニックが必要なのではないかと想像します。高度なテクニックが高度な手品をつくり出すのではないかと。手先の技巧だけでなく、演出やストーリーといったものも含めてテクニックと見ていいでしょう。しかし、テクニックが難しければ難しいほど、高度になればなるほど、いい手品になるかといえば必ずしもそうではありません。
手品を見る側には、技巧は見えないのです。見えないから手品ともいえるでしょう。見る側に、技巧を意識させてはいけないのです。あくまで自然に、その一連の動作が行われたかのように演じるのが、本当の手品ではないでしょうか。
そういう点では、いい手品に絶対高度なテクニックが必要かといえばそうともいえないでしょう。手品を成立させるのは、テクニックだけではないのです。
たとえ技巧がなかったとしても、演じる側とそれを見る側との関係によっては、素晴らしい手品になることがあるのです。掲出歌がまさにその典型です。この歌は、演じる側と見る側との関係性が「ハンカチをかぶせるだけの手品」を通してあたたかく伝わってきますし、また技巧がなくても「ハンカチをかぶせるだけ」で手品になることを教えてくれるとても魅力的な一首だと感じます。

