昼休みに打つわれの碁を岡目らが筋悪の腕づくのと批評す
来嶋靖生『笛』
来嶋靖生の第二歌集『笛』(1984年)に収められた一首です。
「岡目八目(傍目八目)」という四字熟語があります。
当事者よりも第三者のほうが情勢や利害得失などを正しく判断できることを意味する熟語ですが、元々は囲碁から生まれた言葉です。
囲碁を脇から見ていると、実際に対局している人よりも八目ほども多く手を見越すことができるということです。「目」は囲碁の地の単位であり、陣地の獲得を競うゲームですから、打っている人よりも八目も得するほど手が見えているということを指します。つまり、かなり有利に手が見えるということを意味します。
掲出歌は、まさに傍で見ている岡目(傍目)が、横からいろいろと意見をいってきた場面を捉えています。打つ石の筋が悪いとか、無理矢理陣地を取ろうと腕づくのような手であるとか、とにかく色々といってきたのでしょう。
「われ」は昼休みに好んで囲碁を打っているにも関わらず、横からやいやいといわれるのはあまりうれしいものではありません。
褒め言葉ならいいのですが、こういう場合大抵はいい発言ではありません。岡目は悪気はないのかもしれませんが、いわれる対局者にとってはとても心地のよいものではありません。
ここでは「筋悪」「腕づく」と批評されてしまっているのです。
岡目八目の言葉の通り、岡目のほうが手が見えていることが多いので、「われ」が打った手があまりよくないものに映ったのでしょう。
歌のつくりに注目すると、「筋悪の」「腕づくの」の「の」をつけたあたりに、読んでいて歌のリズムを感じます。下句は七・七の定型からは外れていますが、これがかえって批評されたことの不快感を表すのに一役買っているのではないでしょうか。
昼休みの囲碁という、何気ないといえば何気ない日常、少し独特といえば独特の日常について、岡目八目を想起させながら詠われたところに面白さが光る一首ではないでしょうか。

