しなくていい苦労をせずに生きてほしい白桃、桜桃、無花果、李
北山あさひ『ヒューマン・ライツ』
北山あさひの第二歌集『ヒューマン・ライツ』(2023年)に収められた一首です。
白桃、桜桃(=さくらんぼ)、無花果、李が登場しますが、いずれも暖色系が鮮やかにイメージできるフルーツです。
さて、これらフルーツと、上句の「しなくていい苦労をせずに生きてほしい」とはどのように関係しているのでしょうか。
ひとつは、これらのフルーツを見ていたときに、特段の理由はないけれど「しなくていい苦労をせずに生きてほしい」という思いが湧きあがってきたと考えることができるでしょう。「生きてほしい」なので、自分自身への願望ではなく、誰か別の人に対する願望であることはわかりますが、それが誰なのかは明示されていません。ただ、このように願うということは、まったくの赤の他人ではなく、やはり親しい間柄の人を思い浮かべていることは窺えます。
他の見方としては、先に「しなくていい苦労をせずに生きてほしい」という思いが突如湧き起こってきて、そのときに「白桃、桜桃、無花果、李」の映像や記憶が呼び起こされたということも考えられるかと思います。なぜ、苦労をせずに生きることとこれらフルーツが結びつくのかは一般的な回答があるわけではなく、主体自身にとってこれまでの経験や思い出に結びつく何かがあってこれらの景が浮かんできたり、あるいは直接的な経験ではなくてもふと記憶の底から思い出され、時間的に離れた出来事が結びついてしまったということはあるかもしれません。
最後にもうひとつ捉え方を提示してみたいと思います。それは、自分は自分の特質に従って自らの道をいけばいいよという見方です。どういうことかというと、白桃は白桃として生き、桜桃は桜桃として生きていけばいいよということです。白桃が桜桃に憧れたり、無花果を羨んだり、李に嫉妬したりしながら生きていく必要はないということです。いくら白桃が他のフルーツみたいになりたいと思ってもなれないわけです。そうではなくて、白桃は白桃として、他のフルーツにないよさをもっているわけですから、その特質に従って白桃として自信をもって生きていけばいいという感じでしょうか。桜桃、無花果、李にしても同様で、他のフルーツみたいに生きる必要はありません。他のフルーツみたいになりたいと思って生きることは、非常に苦労が伴うでしょう。そもそも種類が違うわけですから、なろうとしてもなることはできないでしょう。なれないものに憧れて必死にその生き方を目指すことは、いってみれば「しなくていい苦労」なのかもしれません。
この歌をどのように読むのが正しいのかは難しいところですが、色々な見方があっていいと思います。具体物が提示されながらも、状況を限定していないところに、かえって広がりをもった歌だと感じる一首です。



