簡略な蝶が書かれたボタン押すエレベーターを閉めたい時に
田中有芽子『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』
田中有芽子の第一歌集『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』(2023年、新装版)に収められた一首です。
一読「簡略な蝶」とは何かわかりませんでしたが、下句を読んでエレベーターを想像すると、「簡略な蝶」がエレベーターの閉まるボタンを指していることに気がつきます。
普段、エレベーターの閉まるボタンの図形を意識することはありませんし、開くボタンと閉まるボタンに”開”と”閉”と書かれていなくても、間違えずに押すことができるでしょう。
この歌では、閉まるボタンの図形を「簡略な蝶」に喩えているわけですが、確かにいわれてみると「蝶」に見えなくもありません。というよりも、「簡略な蝶」と一旦聞いてしまうと、もうそのようにしか想像できなくなってしまうのではないでしょうか。
「簡略な」というところがポイントで、リアリティをもった蝶ではなく、簡略化された蝶であるという把握が、閉まるボタンには最適に感じられます。
地図記号にしても、トイレのマーク等街中に見られるピクトグラムにしても、大抵図形というものは簡略化されているものです。閉まるボタンの図形にしても、もちろん”閉”を簡略化して伝わるように表示されているわけです。しかし、それを”閉”とは直接的に関係のない「蝶」として捉えている目線、および、すでに簡略化された図形に対して「簡略な」と改めていうところに、この歌の面白さはあるのだと感じます。
“蝶のような”でも”蝶みたいに”でも”まるで蝶”でもなく、「簡略な蝶」という初句表現がとても印象に残る一首です。



