中心に死者立つごとく人らみなエレベーターの隅に寄りたり
黒瀬珂瀾『空庭』
黒瀬珂瀾の第二歌集『空庭』(2009年)に収められた一首です。
エレベーターに乗るとき、誰も乗っておらず、自分一人だけの状況であっても、ついつい隅に寄ってしまいます。隅とはいかなくても、内部壁面に寄りそって立っているということが多いのではないでしょうか。真ん中にどっしりと立っているという人は少ないかもしれません。
なぜ混雑していないエレベーター内においても、人は隅に寄って立ってしまうのでしょうか。
いくつか理由があるかもしれませんが、まずは階の操作ボタンが内部壁面の隅に配置されていることが多いからというのがあるでしょう。目的階の選択、扉の開け閉めの操作を行うには、隅にいる方が何かと便利です。
他の理由としては、この後の階で誰かが乗り込んでくる可能性があるからというのもあると思います。誰かが乗り込んできたときのために、スペースを空けておこうという意識が働いて、隅に立つということはあるのではないでしょうか。扉付近や、真ん中に立っていると、後で入ってくる人にとって邪魔になりますし、また人が増えて混雑した内部では、真ん中よりも隅にいる方が落ち着くという気持ちもあると思います。
隅に寄るのは色々と理由があると思いますが、掲出歌は全く別の角度から、人が隅に寄る状況を捉えています。
「中心に死者立つごとく」という表現は、人が隅に寄っているエレベーター内の状況を、端的かつ鋭く表していると感じます。
実際、エレベーター内部の中心に死者が立っていると思って隅に寄っている人はあまりいないと思いますが、中心を避けて立っている状況を、外部の視点から表現されたとき、「死者立つごとく」は、いわれてみると確かにそのように思えてきて、妙に納得してしまいます。
中心にはすでに人(死者)が立っているので、そこには立つことができず、乗り込む人はみな中心を避けて隅に立っているのだと思うと、どこかユーモラスなエレベーター内の様子が浮かびあがってくるように思えてきます。
エレベーターのどこに立つかという状況を取り上げた歌ですが、この比喩が抜群で、情景をくっきりと想像させてくれる面白い一首だと思います。