この世には子どもも大人もいやしない無数のただの私がいるだけ
雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』
雪舟えまの第二歌集『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』(2018年)に収められた一首です。
「子ども」と「大人」を分ける境界線は一体どこにあるのでしょうか。
それは場合によってさまざまかもしれません。年齢、体格、能力、態度、成長、自立など、色々な尺度によって、その時々で、その場に合った方法で線引きされることが多いでしょう。
「子ども」と「大人」に分けることは、便利で簡単に分けられるという点はありますが、あまりにその分け方に慣れすぎて、我々はそのように区分けしてしまうこと自体を疑うことはほとんどないのではないでしょうか。
掲出歌は「子どもも大人もいやしない」と詠われており、下句では「無数のただの私がいるだけ」と続いていきます。
「子どもも大人もいやしない」からは、子どもと大人に分けるのではなく、そこにいるのは、そのような区分けで見た人々ではなく、それぞれがひとりの人として認識されている様子が伝わってくるように思います。
しかし、下句で展開されるのは「無数のただの私」なのです。ここにいるのはたくさんの人たちであるのでしょうが、それは同時に「無数のただの私」と詠われているのです。「この世」にいる人々のすべてが、別々の意識をもった別の人々であるというよりも、それらすべての人は「私」なのだということでしょうか。
「私」の意識がすべての人に通ずるといった様をイメージしましたが、心理学に関わるような世界につながっているのかもしれません。
「ただの」というところも、さりげないですが見逃せないポイントでしょう。「ただの私」は謙遜のような感じにも思えますが、無数を表現するにはフラットな私のイメージを提示することが最適なように表現されているのではないかと思います。
複製された「私」があらゆる場所に存在している、そんなイメージでしょうか。
この歌は実景を詠んだというのではなく、想像に軸を置いた歌だと思いますが、常識や固定観念を取っ払ってくれるような、自由な発想を感じさせる一首ではないでしょうか。