それでおまえはどうしたいのだ 海原にひかり無数の切れ込みがある
松村正直『紫のひと』
松村正直の第五歌集『紫のひと』(2019年)に収められた一首です。
朝でしょうか、あるいは日中でしょうか。海原に太陽の光が当たって、海原はきらきらと輝いている状態でしょう。
その「ひかり」が水面に輝く様子を見て、「無数の切れ込みがある」と見つめる目に主体の心の内が表れているのではないでしょうか。
「ひかり」を「切れ込み」と捉えること、そこには痛々しさが感じられます。このときの主体は、「ひかり」を正のものとして捉えるのではなく、どちらかというと負の側のものとして、捉えざるを得なかったのかもしれません。
切れ込みはひとつではありません。それは「無数」の切れ込みであり、無数であるところに、どうやっても解消できない思いといったものも表れているようにも思います。
無数の切れ込みとして見てしまう気持ちは、上句の「それでおまえはどうしたいのだ」に跳ね返ってくるでしょう。
「おまえ」は主体自身を指しているのでしょう。これは誰かから、または海原から、あるいは大いなるものからの問いかけであると同時に、自分から自分に対する問いかけでもあります。
「どうしたいのだ」の答えは、今のところ見つかっていないのかもしれません。問いかけの内容はわかりませんが、簡単に見つかるような問いではないのだと思います。
ひかりを無数の切れ込みとして見なくなったとき、この問いかけの答えは出るのかもしれませんが、無数と表現されているがゆえに、それは不可能であるということが暗に示されているのではないでしょうか。
どこまでも続いている海原の輝きが目に浮かびますが、その輝きが無数の切れ込みとして映るとき、それは手放しでは喜べない輝きなのだと感じます。
輝けば輝くほど、上句の問いかけは強く主体に刺さってくる、そんなふうに感じられる一首ではないでしょうか。