メール無精を責めるメールをうつときの言語野に雪ああ降りしきる
柳澤美晴『一匙の海』
柳澤美晴の第一歌集『一匙の海』(2011年)に収められた一首です。
筆無精、出無精などという言葉がありますが、「メール無精」とはメールを送ることを面倒くさがる人を指す言葉です。メールという媒体手段が存在する前はなかった言葉ですが、メールの普及とともに新たに生まれたものでしょう。
掲出歌では、主体が相手に対して、メール無精を責めている場面です。自分がメールを送っても、相手からあまり返信が来ないのでしょう。もう少し、メール返信のレスポンスを上げたり、メールの頻度を上げたりしてほしいという思いから、責めるという状況になったのではないでしょうか。
メール無精について相手を責めているのですが、それは相手を直接目の前にしていっているのではなく、メールによってそれを責めています。
メール無精を責めるのに、メールをもってするところに、ウィットのようなものを感じます。
さて、下句は「言語野に雪ああ降りしきる」と展開していきます。「言語野」は言語に関わる機能を司る脳の部分を指しますが、そこに雪が降りしきると詠われています。
言語野という言葉から、野原のようなイメージを想像させ、そこに雪が降りしきるという状況を思い浮かべます。雪が降りしきるというのは、言語野を覆っていくような印象があります。つまり、言語野の機能が低下していく、いいかえると自分自身でうまく言語を操作できないような状況を喩えているのではないでしょうか。
ひょっとすると相手を責めるメールには、自分が意図していない言葉が並べられているのかもしれません。そこまで責めるつもりはないのに、過剰に責めてしまっているような文面になっているのかもしれません。詳しいことまではわかりませんが、寒々しい様子だけは伝わってきます。
メール無精をメールをもって責めるという痛快さと、「言語野」という日常生活であまり使わない言葉が突如登場するインパクトをもった一首だと思います。