人生の歌 #110

当ページのリンクには広告が含まれています。
人生の短歌

水飲めばみづのうちよりひと生れてわれとなりにき 水消えにけり
川野芽生『Lilith』

川野芽生の第一歌集Lilith(2020年)に収められた一首です。

人の体の約60%は水分でできているといわれています。人体と水は親和性が高く、切ってもきれない関係でしょう。

掲出歌には二種類の水が登場します。ひとつは「水」、そしてもうひとつは「みづ」です。これらは同じ水を指しているわけではなく、明確に区別されているように思います。

初句の「水」は、飲料としての「水」であり、その水が体の中に入ってきたところを想像できるでしょう。そして、飲んだ「水」が体の中に入ってきたとき、今まで「水」だったものが「みづ」に変わったということではないでしょうか。

では、ここでいう「みづ」は「水」とどう違うのでしょうか。

「水」は飲料としての水、つまり日常生活における一般的な水であるのに対し、「みづ」は「水」の形状を想像させながらも、日常生活における水からは飛躍した状態のものだと感じられます。それは「みづのうちよりひと生れてわれとなりにき」という表現がそのように感じさせるのではないでしょうか。

生命の誕生のようなイメージも浮かびます。そうすると、水を飲んだのは「われ」ではなく、「われ」を生んだ者かもしれません。ただ「われ」ではない別の誰かが水を飲んだということは書かれていませんので、「われ」が飲んだものとして読んでいきたいと思います。

「われ」が「水」を飲んだ、そうすると「われ」の中に「みづ」が生まれ、「みづ」の中から「ひと」すなわち「われ」の原型のようなものが生まれた、そして「われ」となったというような状況をイメージします。

「みづ」から生まれた「われ」は、初句で「水」を飲んだ「われ」と同じ者ではありますが、「みづ」を経由することによって、更新された「われ」となった、そんな様子を想像します。「ひと生れて」は、誕生というようにも採れますが、どちらかというと、新たな「われ」が生まれた、つまり「われ」がアップデートされたといった状況として採るとイメージしやすいかと思います。

新たな「われ」の登場によって、飲んだ「水」はどこかに消えてしまったわけです。いや、「みづ」が登場した時点で、すでに「水」は消えていたのかもしれません。

難しい言葉は使われていない歌ですが、水分と人体のつながりや変容をさまざまに想像させてくれて、奥深さを感じる一首です。

人体と水
人体と水
楽天ブックス
¥2,200 (2024/08/09 06:15時点 | 楽天市場調べ)

♪ みなさまの応援が励みになります ♪


俳句・短歌ランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次