かなしみが或る臨界を過ぎしときひとは笑ふといふ真実は
川本浩美『起伏と遠景』
川本浩美の第一歌集『起伏と遠景』(2013年)に収められた一首です。
「かなしみ」を漢字で書くと、悲しみ、哀しみ、愛しみなどさまざまありますが、ここでは特定の漢字を用いず、平仮名に開いて「かなしみ」と表現されています。
掲出歌では、かなしみが臨界を過ぎたとき人は笑うということが詠われています。
かなしいという感情のとき、笑いにつながると考える場面は少ないと思います。しかし、「或る臨界を過ぎしとき」に「ひとは笑ふ」というのです。意識的に笑うというのではなく、かなしみがあまりにも大きいがために笑うということで、正確にいえば、本人は笑っているつもりはなくても、他者から見れば笑っているように見えるということかもしれません。
ここでいう「或る臨界」は人によってその程度は異なるでしょうが、かなしみが笑いに至るということはちょっとやそっとのことではないでしょう。
その「真実」を見てしまったのでしょう。それを見て、まったく感情が揺れなかったということはないのではないかと思います。感情が揺れたこと、それがこの歌としてかたちを成したのではないでしょうか。
言葉について見てみると、“かなしさ”ではなく「かなしみ」と表現されていますが、この選択も丁寧に思います。”かなしさ”と「かなしみ」を比較した場合、意味の方向性は同じですが、語感から受けとる印象は若干異なると感じます。”かなしさ”に比べ「かなしみ」の方が、より深いかなしい感じを受けるのではないでしょうか。
笑いにつながるのは、かなしみだけではなく、喜び、怒り、悔しさなど他の感情も臨界を超えると同様なのかもしれません。
この歌は「かなしみ」というひとつの感情を詠い、臨界のぎりぎりのところ、そしてその臨界を過ぎてしまったところ、かなしみが笑いに変わるところを鋭く捉えている一首で印象に残ります。