満月が「たとえ一分一秒も他人のためには使うな」と言う
谷村はるか『ドームの骨の隙間の空に』
谷村はるかの第一歌集『ドームの骨の隙間の空に』(2009年)に収められた一首です。
満月の輝く夜、見るともなく満月を見ていると、まるで満月が語りかけてきたように感じた場面でしょう。
満月が主体に対して何を語りかけてきたのかといえば、「たとえ一分一秒も他人のためには使うな」ということです。
“人のためになることをしなさい”、”自分のことより他人を優先しなさい”などと、よくいわれてきた人も多いのではないかと思います。
ここで考えてみたいのは、自分の人生において最も重要なのは”自分”なのか、それとも”他人”なのかということです。
人のために何かを為すこと、自分のことを後回しにして他人のことを優先して考えたり行動したりすることは、一見すばらしいように思います。
しかし、”人のために”何かをする、”人のために”時間を使うというときに、自分が本当に心の底からそれを望んでいるのかということは問う必要があるのではないでしょうか。
自分自身が心底望んでいる場合はいいのですが、そうではなく、自己犠牲のような思いを持ちながら”人のために”何かをすることは、本当に自分にとって最善の生き方なのでしょうか。
掲出歌では、「たとえ一分一秒も他人のためには使うな」とありますが、裏を返せば、すべての時間を自分のために使いなさいということです。
自分の人生のすべての時間を自分のために使うということは、当たり前のようでいて中々できるものではないのかもしれません。人は人との関わりの中で生きていますから、自分が望まない時間の使い方、他人を優先した時間の使い方をしてしまうこともあるでしょう。ですから、時間のすべてを自分のために使うことができたとすれば、もうそれだけで充分満たされた人生ということもできるかもしれません。
何も傲慢に生きろといっているのではないでしょう。他人を気にしすぎて生きていないかということです。
おそらく主体はこれまで、「他人のために」多くの時間を割いてきたのではないでしょうか。場合によっては、それが正解だと感じていたのかもしれません。しかし、この日満月を見ていたら、ふと感じてしまったのでしょう。本来、自分の時間は自分の自由にしていいはずですが、人は何かしらの制限を勝手に設けてしまい、知らず知らずのうちに自分の時間を自分ではない誰かや何かのために使ってしまっているものなのでしょう。
自分が望んで使った時間が、結果として他人のために何か影響を与えたのであれば、それは他人のためでもありますが、根本は自分のために時間を使ったことになるでしょう。
人生は有限であり、時間はお金で買うことができないものです。過ぎてしまえば、もう戻ってくることはない貴重なものです。
「たとえ一分一秒も他人のためには使うな」というのは、一見非情で自分勝手なように思う言葉かもしれませんが、実はそうではなく、自分自身の人生を最も輝かせるために必要なことを述べている言葉だと思います。
満月の下、自分の時間のあり方を見つめる主体が浮かびあがってきて、印象に残る一首です。