負ケ犬ニナルナとばかり教えられ負ける強さを知らずに育ち
大井学『サンクチュアリ』
大井学の第一歌集『サンクチュアリ』(2016年)に収められた一首です。
人生を勝ち負けで語るとき、負けるよりも勝つことが求められる場面は多いでしょうし、一般的には勝つことが素晴らしいものとされているでしょう。
しかし、長い人生において、勝ち続けることは並大抵のことではないでしょう。当然浮き沈みもあるでしょうし、勝ったり負けたりという状態の方が自然なのかもしれません。
掲出歌では「負ケ犬ニナルナ」という言葉が登場しますが、実人生においてもよく耳にする言葉ではないでしょうか。
この歌はビジネスの場面を詠ったと思われますが、「負ケ犬ニナルナ」はある面では相手を鼓舞する、相手にやる気を出させる言葉として一定の役割をもっているでしょう。
ただ、これまでずっと勝ち続けてきて、一切負けることを知らない場合、その人は本当に強いといえるのかという疑問を、この一首は提示しているといえるのではないでしょうか。
例えば受験において、例えば就職において、相手よりいい大学、いい会社に入れと育てられてきた人も少なからずいるでしょう。
人生、勝ち続けて負け知らずで死ねれば一番いいのかもしれませんが、冒頭でも述べた通り、長い人生そうそう常勝というわけにはいきません。
であれば、どこかで挫折するときがやってくるのです。
そのときに危ないのが、”負けることを知らない”ということでしょう。負けることを知っていれば、挫折したときに、時間がかかっても何とか立ち直ることができるのですが、負けることを知らないと、そこでポッキリと心が折れてしまう可能性が高いのです。
この歌では「負ける強さ」とはっきりと詠っていますが、「負ける」ことは決して弱いことだけでも悪いことだけでもなく「強さ」であるということをいっているのです。
「負ける強さ」は、負けることを受け入れる強さであり、負けることから立ち直る強さであるのでしょう。
「負ケ犬ニナルナ」と教えられたのは、主体かもしれませんし、部下かもしれません。いずれにしても負けを知らないことは、このような強さをもっていないことであり、それを危惧しているのではないでしょうか。
勝ちと負けは表裏一体のものであり、時には負けることの大切さを教えてくれる一首だと感じます。