なにかに負けてゐるかのやうになにかを嘲笑つてゐるかのやうに夏を過ごした
染野太朗『初恋』
染野太朗の第三歌集『初恋』(2023年)に収められた一首です。
夏といえば開放的なイメージがありますが、この歌の主体はとても苦しそうに夏を過ごしたのではないかと感じます。
どのように過ごしたのか、それは二つの直喩によって表現されています。
まず一つ目は「なにかに負けてゐるかのやうに」。
具体的に何かに負けているわけではありません。「なにか」は明示されていませんし、「負けてゐるかのやうに」ですから、実際負けているわけではないのですが、「負けてゐるかのやうに」感じてしまう主体の心の状態が、非常に苦しいもののように思われるのです。
そして二つ目は「なにかを嘲笑つてゐるかのやうに」。
“わらう”にはさまざまあると思いますが、ここでは「嘲笑」が選ばれているのです。笑いの中でも「嘲笑」はあまりいいイメージでは使われないものでしょう。こちらも、実際嘲笑しているわけではありませんが、「なにかを嘲笑つてゐるかのやうに」感じてしまう、そしてそのように振る舞ってしまう主体の心の在り処に思いを馳せないわけにはいきません。
これがもし「なにかに勝つてゐるかのやうになにかに微笑んでゐるかのやうに」であれば、全然イメージは変わってくるでしょう。しかし、この歌は「負けて」「嘲笑つて」なのです。
どのように夏を過ごすのか、自由といえば自由ですが、「負けてゐるかのやうに」「嘲笑つてゐるかのやうに」夏を過ごさざるを得なかった「なにか」がきっとあるのでしょう。
そのように過ごした夏を後悔しているわけではないように感じます。しかし、そのようにしか過ごせなかったことに対して、肯定的かというとそういうわけでもないようです。
具体的な何かが詠われているわけではありませんが、その分読み手に想像の余地があり、主体の複雑な心境の一端を垣間見る一首となっているのではないでしょうか。