何もなき一日の何もなき川を身を乗り出して子ら眺めをり
梶原さい子『リアス/椿』
梶原さい子の第三歌集『リアス/椿』(2014年)に収められた一首です。
「貼り紙ー十月」という一連にあり、東日本大震災が起こってから約半年後の2011年10月の歌となっています。
この歌から感じるのは「何もなき」ことに対するありがたさのようなものです。
何かがあることに価値があると考え、何もないことを否定的に捉える人もいますが、何もないということもとても大切なことのように思います。
それは”何か”が起こったからこそ感じるものかもしれません。この歌集において、そしてこの歌において、その”何か”を東日本大震災と引き離して考えることは難しいでしょう。
とてつもなく大きな出来事が起こってしまった、それは”何かがあった”一日ということです。その経験があるからこそ、「何もなき一日」の尊さが伝わってくるのです。
「何もなき川」もまさにそうで、何もなくても、そこに川が流れていること、それだけで「子ら」にとっては素敵なこととして見つめていられるのではないでしょうか。橋の欄干でしょうか、「身を乗り出して」というところに活力を感じます。
起きてしまったこと、過ぎてしまったことはもう取り戻せないかもしれません。しかし、この瞬間、「何もなき一日」「何もなき川」に最大限の感謝をもって向き合うことは可能なのではないでしょうか。
“何か”が大きければ大きいほど、「何もなき」の大切さに改めて気づかされる、そんなふうに感じます。
「何もなき」の繰り返しが痛切に響く、印象深い一首です。
ポチップ