よりどなく生くるといへど日が差せば冬あたたかきひかり身に浴ぶ
坂出裕子『日高川水遊』
坂出裕子の第一歌集『日高川水遊』(1998年)に収められた一首です。
“人はひとりでは生きられない”。よくこの言葉を耳にすることがあります。
確かにこの世に存在するのが自分ひとりというわけではありませんし、生きるということは他者との関係性の中で生きていくということですし、ある意味他者との関係性の中でしか生きられないということもできるでしょう。
ですから、人に迷惑をかけてはいけないともいわれますし、人に迷惑をかけていいんだよ、人を頼っていいんだよといったこともいわれます。それは正解不正解というよりも、そのとき置かれた状況によって刻々と変わっていくものなのかもしれません。
さて掲出歌は、そのような他者との関係性は関係性としてあることは承知の上で、「よりどなく生くるといへど」という詠い出しになっています。
ここでいう「よりど」は場所でもあり、人でもあり、あるいは時間でもあるのでしょう。全くの孤独という状況ではないのかもしれませんが、自分自身の感覚として自分は「よりどなく生くる」という思いをもって生きているということなのではないでしょうか。あるいは矜持と捉えることもできるでしょう。
さて、そんな「よりどなく生くる」主体にとって、唯一の「よりど」といえるのが日差しなのではないでしょうか。特に寒い冬に差す日のあたたかさは、生きている実感を与えてくれるものなのでしょう。
「冬あたたかきひかり身に浴ぶ」という表現からは、主体が全身に冬のあたたかい日差しを身に受けて包まれている様子が浮かび上がってきます。
「よりど」がなければ、生きていくことに対していつか心が折れてしまうこともあるかもしれません。しかし、そんなときに日差しがあれば、また生き続けていくことができるのだと思います。一般にいう拠りどころはなくとも、日差しがあれば、それこそが生き続けていくための「よりど」となっていくのでしょう。
冬の日差しを全身に浴びる姿がこれほどあたたかく、幸せに満ちあふれた感じを伝えてくれる一首はなかなかないのではないでしょうか。