つぎつぎとフォルダに来る spam mail さむい鷗の群れかも知れず
魚村晋太郎『花柄』
魚村晋太郎の第二歌集『花柄』(2007年)に収められた一首です。
通信手段のひとつとしてメールのやりとりをするのが当たり前の時代となりましたが、スパムメールというのは一向になくならず、むしろ手を変え品を変え、悪質なものが増えていっているという印象があります。
掲出歌は、「spam mail」(スパムメール)について詠った歌ですが、スパムメールを単に迷惑なものとして切り捨てず、詩的に表現した一首だと思います。
スパムメールを「鷗の群れ」に喩えているところに、作者のものを見つめる目の確かさと余裕を感じます。「つぎつぎとフォルダに来る」という表現から、鷗が飛んでくる様子を想像させているところが巧く、下句へ続く土台を上句で提示しています。
またスパムメールが大量に来るところを「群れ」と表現していますが、スパムメールはただの「鴎」ではなく「さむい鷗」であるところも注目すべきところでしょう。
スパムメールではないメールを通常の「鷗」とするならば、スパムメールとなった鷗は「さむい鷗」なのです。本当は鷗自身スパムメールとして飛来することを望んではいなかったのではないでしょうか。それが「さむい」によく表れているように思います。
スパムメールを鬱陶しいと思い、届くたびにイライラすることは簡単ですが、そんなときはこの歌を思い出してみてはいかがでしょうか。スパムメールを送った送信者は悪質だったとしても、スパムメール自体はひょっとすると、スパムメールとして送信されることを望んでいないかもしれません。「さむい鷗の群れ」なんだと思えば、スパムメールの受け取り方やそのときの心持ちも変わってくるのではないでしょうか。
スパムメールをこのように捉えて表現できるところに、作者の余裕を感じる一首です。