自販機のなかに汁粉のむらさきの缶あり僧侶が混じれるごとく
吉川宏志『石蓮花』
吉川宏志の第八歌集『石蓮花』(2019年)に収められた一首です。
寒い季節になると、自動販売機に売られているお汁粉の缶が目にとまります。駅のホームで電車を待っているときなど、何とはなく自動販売機を見てしまうことがあります。寒ければ寒いほど、自動販売機のライトに照らされたお汁粉の缶がとても魅力的に映ります。
掲出歌は、そんなお汁粉缶のパッケージの紫色を、僧侶の法衣に喩えた一首です。
僧侶の法衣といえば、いろいろな色を見かけることがありますが、緋色や紫色は特に位が高い色とされているようです。
全体的にとても巧いと感じる歌ですが、下句の「僧侶が混じれるごとく」が特に巧みです。街中や集団の中において、僧侶が混じっているとやはり目立つでしょう。それは纏った法衣や袈裟という恰好から、そう感じる部分が大きいと思います。
自動販売機にもさまざまな種類の飲み物が並んでいますが、その中に紫色のお汁粉缶は一際目を引いたのでしょう。「僧侶が混じれるごとく」ということで、お汁粉缶の際立った感じがしますし、また同時に自動販売機の中が生き生きと感じられるのではないでしょうか。
缶という無機物に対して、僧侶という人を登場させることで、単に情景や発見を述べただけではなく、作者がそう感じたという思いのようなものが、より前面に現れているような印象を受けます。
ひとたび、この一首を知ってしまえば、今までリンクしていなかったお汁粉缶と僧侶が完全に結び付けられてしまいます。自動販売機でお汁粉を見れば僧侶を思い出し、街中で僧侶を見ればお汁粉缶を思い出す、そのような記憶を植え付けられてしまうほど心に残る一首だと思います。