指し直しも妙手もなくて譬うれば〈一局の将棋〉の如き一生ぞ
石田比呂志『無用の歌』
石田比呂志の第一歌集『無用の歌』(1965年)に収められた一首です。
ここで詠われている「一局の将棋」は、会心の一局ではなく、むしろあまり変化もなく淡々と消化していくような一局を指しているように思います。
そしてこの勝負は負け将棋なのかもしれません。「妙手」を見出そうとするのは大抵劣勢に立たされている側であって、優勢な状況では妙手よりも堅実な一手が選ばれるでしょう。
また「指し直し」できない勝負は、まさに一回きりの人生そのものと重なります。
一局の将棋を人生に例えているところに、諦めと寂しさに似た思いが漂っているようです。
果たしてこの一局は、中盤なのか、終盤なのか、あるいは最終盤なのか、いずれでしょうか。いずれの段階においても、逆転の「妙手」が見つからない一局ほどつらいものはないでしょう。しかしその状況を受け入れているところに、この歌の何ともいえない味わいが現れていると感じます。