ぼんやりとした卑しさのある夜は村山聖の棋譜を並べる
岡野大嗣『音楽』
岡野大嗣の第三歌集『音楽』(2021年)に収められた一首です。
この歌には、将棋のプロ棋士であった村山聖の名前が登場します。
1969年生まれの村山は、いわゆる羽生世代と呼ばれる棋士の一人です。羽生善治との好勝負を繰り広げ、「東の羽生、西の村山」と称されましたが、病気のため29歳の若さでこの世を去りました。
この歌の主体は、「棋譜を並べる」ことからある程度将棋に詳しいのでしょうし、また将棋が好きなのだと思います。棋譜とは対局の手順の記録ですが、それを実際に盤上に再現することは、ただ将棋のルールを知っているレベルではなく、一定の棋力の持ち主かもしれません。
さて、村山聖の棋譜を並べたのは「ぼんやりとした卑しさのある夜」です。村山の棋譜を並べることで「ぼんやりとした卑しさ」を取り除こうとしているのではないでしょうか。「ぼんやりとした」という点も見逃せません。はっきりとした卑しさではなく、「ぼんやりとした卑しさ」だから村山の棋譜を並べているのかもしれません。
村山は若くして亡くなりましたが、その生涯は本当に将棋に賭けた人生といってもいいでしょう。病を抱えながら、体調が悪い中、それでも懸命に将棋に向き合っていた村山聖は、将棋への向き合い方は本当に純粋だったといえると思います。
その混じり気のなさが、棋譜にも現れているのでしょうか。だからこそこのような夜に村山の棋譜を並べているのです。
棋譜を並べる行為を通して、主体は村山聖と対話しているのでしょう。それは生死を超えて、時間を超えてなされるものであり、棋譜という一点が二人をつないでいる、とても美しい一夜に思われるのです。