自粛生活五十日目の寂しさはカップヌードルに金粉降らす
笹公人『終楽章』
笹公人の第五歌集『終楽章』(2022年)に収められた一首です。
「自粛生活」とありますが、新型コロナウイルスが流行した時期に詠まれた歌で、コロナ禍における自粛を詠っています。
コロナ禍においては、政府による緊急事態宣言が度々出されました。ここでいう「自粛生活」は、緊急事態宣言後の自粛を指しているのだと思います。
自粛生活も短期間であれば、気持ちの滅入り方も少なくてすみますが、長期間続くとなれば気持ちも晴れてきません。しかも、いつまで続くのかわからないとなれば尚更です。
さて、自粛生活が五十日目に達したときの寂しさは、主体に思わぬ行動をとらせます。それは「カップヌードルに金粉」を降るという行為です。
通常、金粉といえば、アイスクリームや和菓子、また日本酒などをイメージしますが、ここではカップヌードルに金粉の組み合わせが登場します。
普段の生活で、カップヌードルに金粉を降って食べるという人は珍しいのではないでしょうか。カップヌードルを食べようというときに、胡椒やラー油をかける人はいるとしても、金粉はまず降らないでしょう。
ところが、「自粛生活五十日目の寂しさ」が、カップヌードルに金粉というコンビネーションを生み出してしまったのです。これが自粛生活ではなく、いつもと何も変わらない日々であれば、カップヌードルに金粉はちょっとやりすぎではと感じてしまいますが、自粛生活であるところ、しかも五十日経過しているところが、カップヌードルに金粉という行為を、仕方ないかと思わせてしまう力があります。それほど、行き場のない寂しさが強く滲み出ているように感じられます。
掲出歌が収められた歌集には、次の一首も掲載されています。
新型が枕詞となる日々にカップラーメンまた一個減る
この歌を見ると、自粛生活で幾度もカップラーメンを口にしていたのでしょう。日清食品のカップヌードルに限らず、他社のカップラーメンも色々食べていたのだと想像できます。そんな中、だんだんとこの自粛生活におけるカップラーメンの繰り返しが、何とも味気ないものに感じられてきたのではないでしょうか。
味気ない繰り返しはだんだんと気持ちを滅入らせてきます。それを打開するために、変化を求める心が自然と生まれてきたとしても何もおかしくありません。
「寂しさ」の裏側には、単調なカップラーメンの日々に対する変化を求める気持ちが貼りついていたのではないでしょうか。その気持ちが「カップヌードルに金粉降らす」につながったのだと思います。単純な「寂しさ」に留まらない複雑な思いが、普段では思いつかない行動をとらせるところに、この歌の味わいと読みどころがあると思います。
新型コロナウイルス感染症は、2023年5月8日に、2類感染症から5類感染症へ移行されました。完全にゼロになったわけではありませんが、一旦収束とみなされました。
掲出歌は、コロナ禍が終わった今となっては生まれにくい歌であり、まさに長期間にわたるコロナ禍があったからこそ生まれた一首だと感じます。



