〈マグカップの取っ手にゆびをかけたままさよなら系をきみは話した〉という巻頭歌で始まる、橋爪志保の第一歌集は何?
『地上絵』
『地上絵』は2021年(令和3年)に出版された、橋爪志保の第一歌集です。
第二回笹井宏之賞の個人賞・永井祐賞を受賞した連作「とおざかる星」が収録されています。
本歌集で展開される世界、特にⅠ章で詠われている世界は、われわれが知っている世界とはひと味異なる世界のように感じます。それはわれわれが知っている世界の延長の世界でもありません。登場する言葉は日常から端を発した言葉のように思いますが、そこから生まれた短歌の世界は、この世界に限りなく隣接している世界のように感じますが、一方でこの世界とは決して交わることのない世界のようにも思うのです。
そんな世界において度々登場する「きみ」ですが、「きみ」の細部を本当によく見ていると感じる歌が多いと思います。ここでいう細部とは外見だけではなく、内面も含めてです。
しかし、こうも思うのです。「きみ」を注意深く見ているのは、「きみ」を通しての「わたし」を注意深く見たいという心の奥底にある感情から生まれた行為なのではないかと。いうなれば「きみ」が鏡のような役割を果たしているわけです。「きみ」という鏡を通して「わたし」を見つめている、けれど鏡はまったく同じものを映すのではなく、「きみ」を通して映る世界は「きみ」を見つめていた世界とはまた少し別の世界なのかもしれないと感じます。
歌集名にもなっている「地上絵」はいったいどの世界に描かれているものなのでしょうか。すべての世界に描かれているのでしょうか、それとも特定の世界にだけ描かれているのでしょうか。あるいは「わたし」だけ、「きみ」だけ、もしくは世界と世界の間にだけ、描かれているのかもしれません。
地上絵と、展開される世界とがどのように関係しているのか、広大な地上絵のようにいまだ全貌はつかめていませんが、そのつかめない感覚をこそ楽しみながら味わう一冊なのではないかと思います。
『地上絵』から五首
パンパカパンは何が開いているんだろう、パカのときに。 朝ちょっとだけ泣く
I am a 大丈夫 ゆえ You are a 大丈夫 too 地上絵あげる
思い出と生活はほぼ同じものだから僕らはもう富豪だよ
世界から逃げれば世界が増えてゆく自業自得を愛しています
ミニチュアになれたらきっとのぼりたいきみの苗字にあるはしごだか