次の歌の【 ① 】に入る言葉は何?
〈【 ① 】をつかんだからさマネキンが左手首を失くした理由は〉 (穂村弘)
A. 左肘
B. 永遠
C. 彗星
D. 真昼間
C. 彗星
彗星をつかんだからさマネキンが左手首を失くした理由は
掲出歌は、穂村弘の第一歌集『シンジケート』の連作「星は朝ねむる」に収められた一首です。
店舗で見かけるマネキンは、完全な体をもっているものもあれば、頭、腕、脚など一部がないものもあります。それは客に対して、服や衣装を効果的に見せるために、もっとも適したフォルムのマネキンが選ばれるためでしょう。
掲出歌は、左手首を失くしたマネキンの話です。左手首を失くした理由は「彗星をつかんだから」。この発想はとても興味深いと感じます。
そもそも彗星をつかめるものとして認識することが通常ありませんし、マネキンが左手首を失くした理由が彗星をつかんだからという、この結びつけが飛躍的で大胆です。
この一首だけからは、左手首でも右手首でもそれほど大きな効果の違いはないかもしれませんが、左手首という限定が何か物語がありそうで、さらにこの一首を印象深いものにしています。
さて、『シンジケート』には他にも「彗星」という言葉を使った歌が登場します。
「パジャマの片足に両足つっこんだ罰で彗星しか愛せない」 (「チェシャ・キャッツ・バトル・ロイヤル」)
くわえろといえばくわえるくわえたらもう彗星のたてがみのなか (「たぶんエリーゼのために」)
この二首については、愛や性に関わる状況として「彗星」という語が使われていると考えられます。恋愛や性的なシンボルとしての「彗星」を、冒頭の短歌にも同じように適用するかどうかは判断の分かれるところかもしれません。
(二首目については以下関連記事参照)
マネキンの歌に戻れば、何かの喩としての「彗星」ではなく、純粋に本来の意味の「彗星」をマネキンがつかんだとするところに、冒頭の一首の面白さはあるように感じます。その方が、一首としてのスケールと広がりはとても大きく感じられるためです。
一冊の歌集に特殊な語が繰り返し使われていたとしても、必ずしも同じ意味として捉える必要はないと考えます。
一首一首において、どのように読むことがその一首がもっとも輝く読み方なのだろうか、掲出歌はこれを意識して読むことが大切だと改めて感じさせてくれました。