われ独り聞きつつをればいち早くこの家のうちに牌の音する
佐藤佐太郎『立房』
佐藤佐太郎の第四歌集『立房』(1947年)に収められた一首です。
「青草」という一連の一首ですが、一連の副題は「九月単身上京、知人宅に仮寓す」とあります。この「九月」とは1945年(昭和20年)9月、すなわち終戦の年の9月のことです。そのような背景の中で詠まれた歌です。
「この家」とは知人宅のことでしょうか、それとも通りすがりに見たどこかの家のことでしょうか。この歌からどちらかと判断することは難しいですが、終戦まもなくの厳しい状況において麻雀牌の音が聞こえてきたのでしょう。
現在であれば、麻雀は「プロ競技」としての麻雀か「娯楽」としての麻雀かのいずれかになります。終戦時は現在のようなプロ競技としての麻雀は確立されていませんから、「娯楽」としての麻雀になるでしょう。娯楽といっても、ただ単に楽しいだけではなかったかもしれません。
麻雀には大抵「賭け」がつきものですが、当時もいくらかのお金を賭けて行われていたとも想像できます。そしてそれは終戦後の生活を維持するための、つまり生活費を稼ぐための麻雀だったことも考えられるのです。
お金が十分にあれば娯楽として成立しますが、生活に必死な者がお金を得るために麻雀をしていたというケースも十分にあり得ますし、その場合単に娯楽と呼ぶことはできないでしょう。
そのように考えると、麻雀牌の音がするというこの歌の状況は、何とも時代の深みを帯びてくるように感じます。
「われ独り聞きつつをれば」という表現もどこか不思議な表現です。やや能動的にも感じられるこの表現はいったい何を聞こうとしていたのでしょうか。当時の生活の様子を聞き取ろうとしていたのでしょうか。
そこで聞こえてきたものは「牌の音」であったというところに、生きるために必要な食糧や物資とはほど遠い「麻雀牌」が、逆説的に終戦当時の日常の姿をまざまざと浮かび上がらせる一首となっています。