全自動卓が自動で牌を積む ダンスフロアに転がるピアス
宇都宮敦『ピクニック』
宇都宮敦の第一歌集『ピクニック』(2018年)に収められた一首です。
麻雀をするとき、全自動卓があると本当に便利です。自分で麻雀牌を積む必要がありません。
一方、家庭で麻雀をする場合は大抵こたつに座ってすることが多いのではないでしょうか。最近はあまり見かけなくなりましたが、こたつの卓の裏面が緑のフェルトになっているものが多く、その上に麻雀牌を広げて、手で積みながらやった経験のある方も多いでしょう。
掲出歌は、全自動卓が登場しますので、雀荘かどこかの場面だと思われます。もちろん全自動卓のある誰かの家とも捉えられなくもありませんが、全自動卓はまだまだ一般家庭に普及しているわけではありません。
さてこの歌は、上句と下句で一字空けが使われていますが、上句の状況から下句の場面が想像されたという歌ではないでしょうか。
全自動卓が牌を積む音はある意味機械的ではあります。毎回同じようにガシャガシャと牌を並べて、見えないところで次の対局のためにセットしてくれます。
その音を聞いていると、いつの間にかダンスフロアに想像は膨らんでいったのです。そしてダンスフロアにはピアスが落ちている場面がクロースアップされてきます。全自動卓が麻雀牌を積み終わった瞬間の静寂と、ダンスが終了しピアスが落ちているフロアの静寂とが重ね合わせられているのでしょう。
この歌の中ではダンスが終わったとは一言も書かれていませんが、ピアスで収束している状況からその静寂感が伝わってきます。ダンスフロアのピアスは眼前の景ではなく、全自動卓が麻雀牌を積み終えた瞬間に喚起された景なのです。
掲出歌の後にも何首か麻雀に関する短歌が登場します。
対面の牌が横向く スイングバイ軌道を外れる探査衛星
おとなしくドラの対子をおとしてく 疎まれたまま消えるビル風
点棒はそろえて渡す ひっそりとサンゴの森で朽ちる砲台
これら三首も掲出歌と同様の構成でつくられている歌だと思います。
一首目は、麻雀牌の動きに注目した歌です。麻雀牌は何かの拍子に突然くるっと横向きになることがあります。その様とスイングバイする探査衛星とが重なります。
二首目は「おとなしく」「おとしてく」という字面の類似性も考慮された一首です。相手に大きなテンパイが入った状態かもしれませんが、無理して対抗することができず仕方なく安全牌となっているドラの対子を切っていくという場面です。ドラはもっているだけで得点アップの牌となりますが、それを対子(2枚)捨てていくということは、自分の手の得点力をダウンさせているのと同じです。ドラ対子を落とした手に「ビル風」のような力強さはもうありません。
三首目は、他家に和了が出た場面で点棒を支払っているところでしょう。これは想像ですが、自身もかなりの大物手を張っていたのではないでしょうか。その手が実らず、結果的には他家に和了られてしまいました。実らなかった大物手を「ひっそりとサンゴの森で朽ちる砲台」の様子と重ね合わせているのでしょう。強力な威力のある砲台も、活躍の場面を迎えなければ朽ちていくだけなのです。
麻雀という非常に狭い空間の出来事を、探査衛星、ビル風、砲台などというかなり距離の離れた事物と結びつけることによって、これらの歌は広がりと奥行きのある歌に仕上がっています。
掲出歌に戻りましょう。
この歌に登場するのは、全自動卓、麻雀牌、ダンスフロア、ピアスですが、この一首にはピアスが転がるまで行われたであろう華麗なダンスやそれを見つめる観客の視線などさまざまなものが想起され、とても魅力的な一首になっていると感じます。