水引を指でなぞれば曲線の果てにとつぜん取り残されて
櫻井朋子『ねむりたりない』
櫻井朋子の第一歌集『ねむりたりない』(2021年)に収められた一首です。
一連の前後の歌から想像すると、友人の結婚式に関連した歌だと思います。
婚礼関係に使用する祝儀の水引は、二度と繰り返さないようにとの意から広い意味での”結び切り”が用いられます。
掲出歌では、水引を指でなぞっていった場面です。この場合は先端からなぞっていったのではなく、中央から先端に向けてなぞっていったのでしょう。
指でなぞっていくと、結び切りの曲線が続いていたのですが、その曲線は先端において切断されているため、それ以上指でなぞり続けることができません。水引の先端が急に訪れる感じを「曲線の果てにとつぜん取り残されて」というように表現しています。
主体はここで一体何を感じているのでしょうか。一体何から「取り残されて」しまったのでしょうか。
この歌は水引をなぞったときの曲線と先端との落差をストレートに受け取ればよく、あまり深く踏み込む必要はないのかもしれませんが、その状況だけを詠うにしては「取り残されて」という表現が過剰といえば過剰なような気もします。
友人が結婚するというひとつのイベントが発生することで、主体と友人の関係性のようなものが少なからず変化したのではないでしょうか。友人の立ち位置と、主体の立ち位置、それが以前とは変わってしまったということかもしれません。
そのような以前の状況を「曲線」部分と喩えるならば、その「曲線」部分の「果て」に友人の結婚式というイベントが発生し、それによって主体は、友人との関係性において以前の状況とは違う状況に突入することになり、「取り残されて」しまったと捉えることも可能かもしれません。
「水引」という具体物が効果を上げている歌で、水引を指でなぞるという行為が、なぞるという行為に留まらず、さまざまに想像させてくれる一首だと感じます。