会うためにあるいはもう会わないために橋は静かにカーブしている
鈴木晴香『心がめあて』
鈴木晴香の第二歌集『心がめあて』(2021年)に収められた一首です。
「橋は静かにカーブしている」と詠われていますが、この「カーブ」は二通りの採り方があるかと思います。
一つは横方向にカーブしているという捉え方で、比較的距離の長い橋かもしれませんが、直線ではなく、ゆるやかに左右どちらかに曲がっている状態です。
もう一つは、縦方向にカーブしているという見方です。アーチ構造の橋のように、ふくらみをもった橋を想像します。縦に関して、曲がっている状態です。
この歌では、橋自体に関する情報がほとんどないため、どちらの状態を詠っているのかはなかなか難しいのではないでしょうか。横方向にカーブしていると捉えるのは、ごく自然な気がしますが、それでは「橋」ではなく、道路でもいい気がします。道路はなく「橋」が詠われているのであり、橋ならではという点で見ると、縦方向にカーブしている、つまりアーチ構造をもった橋として捉えるのがいいようにも思えます。
さて、「橋は静かにカーブしている」の「静かに」もとても丁寧でいい表現だと感じます。意味合いとしては、ゆるやかにカーブしているといったところでしょうが、それを「静かに」と表したところに、”ゆるやかに”だけでは表現できない音的要素も加わっていると思います。
なぜカーブしているのか、その理由は上句に述べられています。「会うためにあるいはもう会わないために」とあります。
「会うために」と「もう会わないために」は、全く反対のことをいっていますが、これは「橋」が出会いの場所であり、同時に別れの場所であることを語っているのではないでしょうか。
そう考えると、このカーブは縦方向のカーブ、すなわち橋のふくらみをイメージした方がしっくりくるように思えてきます。橋のふくらみの頂点が、出会いの始まりの場所であり、別れの起点となるのではないでしょうか。
橋は、川や海などを渡るところに設置されることが多いでしょう。つまり、川や海によって二つに隔てられたものをつなぐ役割をもっています。橋の両端から、それぞれひとりずつ誰かが歩いてきたとしましょう。橋の一番膨らんでいる真ん中で、二人は出会ったかもしれません。また別れのときには、橋の一番膨らんでいる真ん中から、互いに背を向けあって、それぞれ隔てられた場所へ戻っていったのかもしれません。
「会うためにあるいはもう会わないために」は真逆のことをいっていますが、どちらかを選択するというよりも、どちらをも選択する場所として橋のカーブがある、そのように想像できるのではないでしょうか。ただし、提示される順番にも影響されるでしょうが、比重としては「もう会わないために」の方にわずかに寄っているように感じます。
上句の表現とともに、下句の「橋は静かにカーブしている」がとても魅力的に感じられる一首です。