わが裡に常描きゐる線ありてあるところよりゆるくカーブす
三宅霧子『霧子』
三宅霧子の第一歌集『霧子』(1974年)に収められた一首です。
「裡」は、”うら”と呼んで裏側を意味する場合と、”うち”と呼んで内側や心の中を意味する場合がありますが、ここでは後者と読みたいと思います。
「常描きゐる線」とは一体何を表す線なのでしょうか。ここでは明確に示されてはいませんが、実際に目に見える線ではなく、主体の心の中に描かれている目に見えない線を指していると捉えていいのではないでしょうか。
自分のその日の調子を表す線のようなものかもしれませんし、もっと期間を長く捉えて人生そのものの浮き沈みを表すような、いわゆる人生曲線のようなものかもしれません。
「常」ですから、常時その線は心の中に存在し、消えることはないのでしょう。
そしてその線は「あるところよりゆるくカーブ」しているのです。「カーブ」が意味するところは何でしょうか。上方にカーブするのでしょうか、それとも下方にカーブするのでしょうか、あるいは左右いずれかにカーブするのでしょうか。
またカーブすることがいいことを意味するのか、よくないことを意味するのかもはっきりとはしません。はっきりしているのは「ゆるくカーブ」したということだけです。
線の向きも長さもあいまいですが、既定されていないからこそ読み手は自由にその線を描けるともいえます。
非常に抽象的な歌と捉えましたが、この線は主体の日々になくてはならない線、深く関わる線なのだと感じますし、心に残る一首です。