うたたねより覚めたるときにEテレに一局の碁は終はりてゐたり
小池光『思川の岸辺』
小池光の第九歌集『思川の岸辺』(2015年)に収められた一首です。
毎週日曜日、NHKのEテレ(かつてのNHK教育テレビ)で囲碁の対局が放送されています。これは「NHK囲碁トーナメント」と呼ばれる棋戦で、毎週一局を放送し、一年間かけてトーナメント方式で優勝者を決めていく囲碁対局番組です。
放送時間は12:30~14:00。勝敗がつく時間帯はその時々で変わりますが、早ければ13:30頃、遅ければ番組放送終了である14:00の直前というときもあります。
日曜の昼過ぎのこの時間帯は、昼食が終わって眠たくなる時間帯です。
掲出歌において、主体は日曜の午後に「うたたね」をしたのでしょう。そのうたたねから覚めたときに対局が終わっていたという状況を詠んだ歌です。対局が終わっていたと気づいたということは、テレビはつけっぱなしになったままだったのだと思います。うっかり寝てしまう前に、囲碁トーナメントを視聴していたのでしょう。おそらくは横になりながら。そして、うとうととして、気がつけば、囲碁の決着がついた後だったということです。
この歌は休日のありふれた日常の一場面を詠んだ一首であり、特別の出来事を詠んだ歌ではありません。場合によっては歌になりそうな起伏のある場面とも思えないのですが、そんな日常の場面がこのように詠われると、何かしら意味を探してしまいます。
寝ている間に、その途中経過がどうであったのかもわからないまま「一局の碁」が終わっていたという事実に、どこか儚さのようなものを感じます。人生は、囲碁や将棋の一局の勝負ごとに例えられることが多いですが、一局の勝負ごとがうたたねの間に終わってしまうというところに、ついつい人生を重ねて読んでしまうのです。
少し踏み込みすぎかもしれませんが、「邯鄲の夢」の故事を想起してしまいます。
「邯鄲の夢」の故事では、わずかな時間の間に栄枯盛衰を経験する夢を見ますが、掲出歌では眠りのとき夢を見ていたかどうかはわかりません。ただ、覚めた瞬間の感触のようなものは「邯鄲の夢」の故事に通ずるものがあるのではないでしょうか。
詞書などなくとも「Eテレ」「碁」という短い言葉が歌の中に無理なく配置されることで、曜日・時間帯・場面を読み手に思い浮かべさせてしまうあたりはとても巧いと感じる一首です。
囲碁と将棋はよく比較されたり、並列されたりしますが、短歌においても、囲碁の短歌よりは将棋の短歌の方が詠われている数が多いような印象があります。掲出歌は、将棋の歌よりは数が少ないと思われる囲碁の歌として、また日常の場面を詠んだ歌として非常に優れた歌だと感じます。

