観覧車の歌 #9

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観覧車の短歌

もうすでに二十世紀の街見えず二十一世紀の観覧車より
香川ヒサ『The Blue』

香川ヒサの第七歌集The Blue(2012年)に収められた一首です。

観覧車を「世紀」で捉えた歌というのは珍しいのではないでしょうか。

「二十一世紀の観覧車」と表現されることによって、この観覧車が時間的に特別な意味をもちはじめるように感じます。同じ観覧車がそこにずっとあったとしても、二十一世紀のその観覧車は、二十世紀のその観覧車とは異なる観覧車のように思われるのです。

「二十世紀の街」も同様で、街がずっとそこにあったとしても、二十世紀の街はやはり二十一世紀の街とは異なるものとして伝わってきます。

二十一世紀の観覧車から二十世紀の街が見えないというのは、時間的な差があるため、いわれてみれば当たり前のように感じますが、このように詠われるまで、通常意識することはないのではないでしょうか。

街も観覧車も、世紀という区分によって区切られて表現されることで、新しい認識の枠のようなものが浮かびあがってくるように思います。そこにこの歌の着眼点の鋭さが表れているのではないでしょうか。

同歌集には、観覧車を詠った歌がほかにもあります。

タイタニック記念碑跨ぎ観覧車回る二十一世紀の空に

世界中に大観覧車周りつつ二十一世紀の空削りをり

大観覧車回つてゐたり大観覧車跡地あらむと来しベルファストに

同歌集に登場する観覧車のいくつかは、北アイルランドのベルファストにある観覧車が詠われているようです。引用歌の一、二首目はいずれも「観覧車」と「二十一世紀の空」が詠われており、掲出歌と同様に「世紀」を意識して表現された歌でしょう。

観覧車という物体は、街全体を見渡せるイメージをもったものですが、そこに「世紀」という区分が投入されることによって、空間的のみならず、時間的にもスケールの大きさを伴って読み手に伝わってきて、印象に残る一首となっています。

観覧車
観覧車

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